正岡子規「嬉しくてたまらん」

明治30年(1897)2月17日付の子規の手紙(漱石宛)に次のような一文。

詩集を読むことが近来の第一の楽しみで少し間があれば詩集を見る。嬉しくてたまらん。


この「嬉しくてたまらん」は子規の書いたものに頻出する語。子規の文章には「嬉しい」「愉快」「面白い」といった言葉が頻繁に現れる。

この日は快晴であったが、山の色は綺麗なり。はじめて白い砂の上を歩行(ある)いたので、自分は病気の事を忘れるほど愉快であった。(「病」)

どうも綺麗だ。何だか愉快でたまらん。(中略)実に綺麗で実に愉快だ。(「熊手と提灯」)

窮したところまでほめられるような訳で僕は嬉しくてたまらん。(「画」)

今年になってはじめての外出だから嬉しくてたまらない。(中略)竹垣の内に若木の梅があってそれに豆のような実が沢山なっているのが車の上から見える。それが嬉しくてたまらぬ。(「車上の春光」)

余は馬上にあって口を紫にしているなどは、実に愉快でたまらなかった。(「くだもの」)

余はこの新しい配合を見つけ出して非常に嬉しかった。(同上)

寝ておりながら枕元にある活花盆栽などの写生ということを始めてから、この写生が面白くて堪らないようになった。(中略)ただ絵具をなすりつけていろいろな色を出してみることが非常に愉快なので、何か枕元に置けるような、小さな色の美しい材料があればよいがと思うて、そればかり探しておった。(「病牀苦語」)

余はこれを読んでうれしくてたまらぬ。(『墨汁一滴』34年6月20日条)

たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるような事がないでもない。(『病牀六尺』35年5月5日条)

綺麗なる芝生の上に檜葉の木が綺麗に植えられておるという事がいかにも愉快な感じがしてたまらなかったのである。(同上・35年6月27日条)

嬉しいのなんのとて今更いうまでもない。(同上・35年8月24日条)

新体詩に押韻をはじめたところが実にむつかしい。更に句切の一致をやってみたところが更にむつかしい。更にむつかしいほど更に面倒くさい。更に面倒くさいほど更に面白い。(中略)しかしできてみると下手でも面白い。病気なんどはどうでもいいと思う。(中略)新体詩か何かつくっていればただうれしい。(30年2月17日付・漱石宛書簡)

天気晴れて熱低きときは愉快で愉快でたまらぬほどなれど、さりとて望みも何もなければ、ほんのその日その日の苦楽に心をなやまし申し候。(30年6月16日付・漱石宛書簡)

殊に昼間日光をあびるのが何よりの愉快に御坐候。(32年12月17日付・漱石宛書簡)

この頃は何もせずに絵をかきおり候。それがまた非常に面白いのでいよいよほかのものがいやになり候。(33年3月3日付・漱石宛書簡)

君の手紙を見て西洋へ往()ったような気になって愉快でたまらぬ。(34年11月6日付・漱石宛書簡)


いずれも病身となってからの言葉。病苦の中でこうした言葉が発せられていることは驚きに値する。「美がわかれば楽しみ出来申すべく候」(『仰臥漫録』35年10月15日条)。美がわかればそこに楽しみは生まれる。子規の「嬉しい」「愉快」「面白い」はその美がわかる心を源とするものであったのかもしれない。

【参考文献】
『子規全集 第十一巻 随筆一』講談社 1975年4月
『子規全集 第十二巻 随筆二』講談社 1975年10月
『子規全集 第十九巻 書簡二』講談社 1978年1月

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