松平定行の松山入部

寛永12年(1635)7月28日、松平定行(1587-1668)、桑名11万石より松山15万石へ加増転封。この転封については次のようなことが伝えられている。

同十二乙亥年七月二十八日、移封して伊予国松山城主となり、十五万石の地を領す。大献公(注-家光)いわく、四国中親藩なし。故に今汝を置くと。即日暇を給いて領地へ赴かしむ。(『久松家譜』)

一、同十二乙亥年七月廿八日、勢州桑名城を転じ、伊予国松山城並びに領地十五万石御拝領。このとき上意には、四国中御身近の者、御坐なきに付き下し置かれ候旨、仰せ蒙らる。(『予松御代鑑』)


将軍家光は定行に「四国中親藩がないから、汝を置く(四国中身近の者がないから、汝を下し置く)」と言って、その松山への移封を伝えたという。「親藩」「身近の者」(定行の父定勝は家康の異父弟)としての松山移封。四国の外様大名を牽制する役割がそこに担わされていた。

松山に入部した定行は道後温泉を改造、松山城も改築し、藩内の殖産興業にも意を注いだ。寛文8年(1668)10月19日、東野別荘で死去。遺骸は祝谷の常信寺に葬られ、霊廟が築かれた。

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常信寺(松山市祝谷東町)の境内にある松平定行の霊廟(拝殿・本殿)。

【参考文献】
伊予史談会編集発行『伊予史談会双書第8集 予松御代鑑』 1983年12月
松山市史料集編集委員会『松山市史料集 第二巻』松山市役所 1987年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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