伊佐爾波神社「初めの御沙汰は……」

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伊佐爾波神社(松山市桜谷町)。八幡造りの社殿は寛文7年(1667)、藩主松平定長(1640-1674)の建立。

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参道の石段は135段。自然石の石段である。

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石段の右下にある刻字。

大正十四年十一月 石段改造 道後湯之町有志


「改造」とあるのは改修の意であろう。

『垂憲録拾遺』に次のような記述。

寛文七未年五月十五日、道後八幡宮(注-伊佐爾波神社)御遷坐式これあり。(中略)そのころ、日雇に出たりとて、元文二、三年の頃まで九十余になる安兵衛という百姓、祝谷村にあり。この老翁の物語を聞くに、初めの御沙汰は惣石段切石にして、三津縄手より真直に正面の石段まで道造り候ようにとの御事なりしが、如何してか縄手よりの道も止()み、石段もことごとく野づら石となれり。


この神社の石段は当初、「野づら石」(自然石)でなく、すべて「切石」(切断加工した石)で造る予定だったという。「三津縄手」(三津~城下西端の街道)よりこの石段下までの直線道路を造ることも計画していたが、沙汰やみ。当初の計画を実現するのは、藩の財政として困難だったのだろう。

【参考文献】
伊予史談会編集発行『垂憲録・垂憲録拾遺』 1986年1月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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