松山城の尾谷に藩の軍用金

松平定行(1587-1668)が藩主であった時代、松山城の尾谷に藩の軍用金が入った金箱が置かれていたという。

勝山様(注-松平定行)御代、御城内尾谷に御軍用金あり。土台の上に金箱を積み、取葺きに屋根ありて、四方壁なく、その箱をあらわし、同所に御勘定所ありて見透しにてありしとなり。その後、いづれの御代にか御土蔵できしとなり。(『垂憲録』)


「取葺きに屋根ありて、四方壁なく」というから、粗末な屋根と四本柱だけの建物だったのだろう。中が丸見えのこの建物にその金箱が無造作に積まれていた。当時、勘定所がそばにあったので、そうした保管の仕方でも問題はなかったようである。

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二之丸北側のこの石垣の上の平地が尾谷であったのだろう。『垂憲録』の上の記述によると、定行の時代にはこの尾谷に軍用金の金箱も勘定所もあったことになる。

【参考文献】
伊予史談会編集発行『垂憲録・垂憲録拾遺』 1986年1月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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