松山藩主の花畑が町名の由来「花園町」

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伊予鉄道松山市駅から南堀端交差点に至る大通り一帯は花園町の町名。藩政時代、「藤原御花畑」という藩主の別墅があったことからその町名になったという。「藤原御花畑」は東七十一間半・南七十間半・西七十一間半・北七十間、蓮池が二つあり、東は杉林になっていた(『垂憲録拾遺』)。花畑というときれいに聞こえるが、ときにはそこで罪人の処刑などがおこなわれることもあった。

同(注-寛文三年二月)廿七日、藤原御花畑にて御ためし者一人これあり。(『垂憲録拾遺』)

同(注-寛文十一年)二月七日、藤原御花畑にて死罪者四人御覧として出御。死罪御覧の儀、前後毎々これあり。御腰物等、御持たせにて御切らせあそばさる。(同上)


上に示した事例はいずれも藩主定長(1640-1674)の時代。「ためし」というのは、刀剣の切れ味を試すために罪人などを斬る「試し斬り」のことである。

藩主の花畑と称されるものはこの「藤原御花畑」のほかにも、「吟松庵」(東西一町・南北三町半)、「石手御花畑」(東百十五間・西百三十間・南百七十九間・北百三十八間)、「正宗寺裏御花畑」(北六十一間半・東四十一間・南二十八間・西六十六半)、「道後御茶屋」(南二十間半・東九間半・北二十一間半・西四十五間)などがあったという。

【参考文献】
伊予史談会編集発行『垂憲録・垂憲録拾遺』 1986年1月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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