戦艦陸奥(3)

前回のつづき)

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「陸奥記念館」近くの丘にある「陸奥之碑」。昭和38年8月建立。

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「陸奥」が爆沈したのは記念館のある伊保田の北西約3㎞の柱島泊地。この泊地は戦時中、連合艦隊の最大の根拠地で、100隻以上の艦艇が集結していたこともあったという。

日本海軍の艦艇は「三笠」「松島」「筑波」「河内」「陸奥」などが爆発事故によって沈没している。「三笠」は水兵が火薬庫の中で宴会をしていたためであったが、他は原因不明。海軍の情報に詳しい中井久夫は、「日本の艦はよく爆沈するが、少なくとも半数は制裁のひどさに対する水兵の道連れ自殺という噂が絶えない」という。

「陸奥」の爆沈で艦内から流れ出た物品が瀬戸内海沿岸の各地に漂着した。松山の沿岸には防寒服の梱包1個が漂着、中島の長師の浜には水兵帽が多数流れ着いたという。爆沈の20日後には津和地島の西端に「陸奥」の副長の遺体も流れ着いた。軍は「陸奥」の爆沈を公表しなかったが、艦艇が沈没して多数の死者が出たらしいという噂は瀬戸内地方から全国の各地に伝わって行った。

【参考文献】
中井久夫『関与と観察』みすず書房 2005年11月
山野芳幸『忽那諸島界隈はええとこぞなもし』株式会社エーシー 2006年8月
吉村昭『陸奥爆沈』(改版)新潮文庫 2012年7月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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