神道芭蕉派古池教会

子規の時代、芭蕉は神のような存在として偶像視されていた。

芭蕉の俳諧における勢力を見るに宛然宗教家の宗教における勢力とその趣きを同じうせり。(中略)甚だしきは神とあがめて廟を建て本尊と称して堂を立つることこれ決して一文学者として芭蕉を観るに非ずして一宗の開祖として芭蕉を敬ふ者なり。(正岡子規「芭蕉雑談」明治28年)


「甚だしきは……」と子規が言っているのは、三森幹雄の一派などのことであろう。三森幹雄は旧派俳諧の宗匠で、明治政府の教導職に任ぜられ、明倫講社という俳諧結社を組織。教導職廃止後、神道芭蕉派古池教会なる宗教団体を作り、明治18年(1885)3月11日付で認可を受けている(松井利彦下記書)。「芭蕉派」「古池」を名のっていることから明らかなように、この宗教団体は芭蕉をまさしく神として崇めるものであった。

子規の『病牀六尺』明治35年7月28日条に次のような記述。

この頃「古池旧蹟芭蕉神社創立十年祭紀念物奉納並大日本俳家人名録発行緒言」と題する刷物の内に賛成員補助員などの名目ありて、我が名もその補助員の中に記されたり。されどこは我が知るところにあらず。もっとも幹雄翁には十年ほど前一二度面会したることあり。明治二十六年奥州行脚に出掛けしときなどは翁の紹介書を得たるなど世話になりたることもあり。されど古池教会には何の関係もなく、また俳家人名録などいふことにも何等の関係なし。(『病牀六尺』七十七)


子規は俳人として有名になっていたので、古池教会はその名を利用しようとしたのであった。

【参考文献】
『子規全集 第四巻 俳論俳話一』講談社 1975年11月
『子規全集 第十一巻 随筆一』講談社 1975年4月
松井利彦『正岡子規の研究(下)』明治書院 1976年6月

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〔記事と画像は無関係〕

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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