正岡子規、明治28年の大晦日

明治28年(1895)12月31日-大晦日のこの日、子規は漱石が訪ねて来るのを根岸の家で待っていた。青磁の瓶に梅を活けて待っていたようである。

梅活けし青磁の瓶や大三十日(おおみそか


   漱石来るべき約あり
梅活けて君待つ菴の大三十日


約束どおり漱石来訪。子規はまずこたつをすすめて彼をもてなす。

   漱石来る
何はなくとこたつ一つを参らせん


当時、漱石は松山中学の教師。冬休みで東京に帰省し、大晦日のこの日、かねての約束どおり子規の家を訪ねたのであった。この日は虚子も子規の家に来訪。子規にとっては賑やかな大晦日であった。

   漱石虚子来る
漱石が来て虚子が来て大三十日


その大晦日の子規の感慨。

思ふこと今年も暮れてしまひけり


正月には雄志をうかがわせる次の句を詠む。

   三十而立と古の人もいはれけん
今年はと思ふことなきにしもあらず


翌年の明治29年は子規数え年三十。「三十而立(三十にして立つ)」は『論語』の言葉である。子規の病はこのころから深刻さを増すが、俳句に短歌に随筆、評論と子規が本格的な活躍をするのはまさにこのころからであった。

【参考文献】
『子規全集 第二巻 俳句二』講談社 1975年6月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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