「民衆は〈不幸な人々〉のことを深く気にかけている……」

ロシアの民衆は犯罪者のことを「不幸な人々」と呼んで同情を寄せていたとドストエフスキーはいう。

我々の社会の上流階層には知られていないことだが、ロシアでは商人も町人も農民もすべて、「不幸な人々」のことを深く気にかけているのだ。(ドストエフスキー『死の家の記録』)

民衆は、たとえ囚人の犯した罪がどれほど恐ろしいものであれ、決してその罪のことで囚人を責めようとはせず、囚人が負わされた罰に免じて、そしてそもそもその不幸に免じて、すべてを許そうとするのである。ロシア中どこへ行ってもすべての民衆が犯罪を不幸と呼び、犯罪者を不幸な人と呼ぶのは、理由があってのことなのだ。これは極めて意味深い定義である。それも無意識に、本能的にそう思っていることだけに、なおさら大事なのだ。(同上)


異常な犯罪が頻発する今の時代、「不幸な人々」などとはとても言っていられないかもしれないが、ドストエフスキーのいうロシア民衆のそうした心情も共感できないわけではない。

いとしい家族のためには恥も忘れ、盗みをもするのが人間だと兼好法師は言う。

まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも忘れ、盗みもしつべき事なり。(卜部兼好『徒然草』第百四十二段)


犯罪の原因である貧困をなくすのが為政者のつとめだ、というようなことも兼好法師は述べている。

されば、盗人を縛め、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の饑()ゑず、寒からぬやうに、世をば行はまほしきなり。人、恒(つね)の産なき時は、恒の心なし。人窮まりて盗みす。世治まらずして、凍餒(とうたい)の苦しみあらば、科(とが)の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはん事、不便のわざなり。(同上)



昨日の記事でふれた「極楽橋」の伝説。重罪人の命が助けられると知って、人々が手をたたいて喜んだという当地方の言い伝え。事実であったかどうかはともかく、罪人を「不幸な人」と見なす心情がここからは窺える。犯罪はその多くが「不幸」なるがゆえと理解されていたからこそ、こうしたかたちの話となっているのではなかろうか。

【参考文献】
西尾実・安良岡康作校注『新訂 徒然草』岩波文庫 1985年1月
ドストエフスキー・望月哲男訳『死の家の記録』光文社古典新訳文庫 2013年2月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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