刑場に赴く罪人救済の伝説「極楽道観音堂」と「極楽橋」

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松山市永木町1丁目の「極楽道観音堂」。寛永の頃、松山藩領民の安泰を願って置かれた七観音のうちの一つだという。藩政時代、斬首と定められた罪人が立花の刑場へと向かうおり、この観音に額ずき悔い改めると罪一等が減じられ命を助けられたともいわれる(付近の極楽橋にこれと関連する伝説。下記)。今は小さな堂宇があるのみだが、近隣の言い伝えによると、昔は立派な本堂や通夜堂があったらしい。

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極楽道観音堂近くにある「極楽橋跡」碑(昭和53年5月建立)。地域住民の建碑であろう。「史蹟」とあるが、文化財指定の史跡というわけではない。

藩政時代、死罪と決した者を立花の刑場へ送る道は、ここにあった極楽橋をわたる道と今の市駅あたりにあった地獄橋をわたる道の二つ。極楽橋をわたる道で送り出された罪人は、命だけは助かることになっていたという。罪人が藩の役人に連れられて極楽橋をわたると、集まっていた人々は罪人の命が助かることを知って手をたたいて喜んだ。橋をわたり終えると、極楽道観音堂の僧が罪人の髪をおろして宗門の道に入れたなどと伝えられている。

極楽橋という名称から、昔は葬儀の列もこの橋をわたることになっていた。昭和17年頃までその風習はつづいたという。

【参考文献】
佐々木忍『松山有情』愛媛県教科図書株式会社 1978年5月


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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