大正元年11月12日、志賀直哉、尾道よりの船で高浜に着く

志賀直哉(1883-1971)の小説『暗夜行路』に次のような一節。

高浜という処(ところ)で下りて、汽車で道後へ行って、彼はそこで二泊した。そしてまた同じ処から船に乗り、宇品で降り、広島から厳島へ行った。尾の道より気に入った処があれば彼はどこでもよかったが、結局四日目にまた尾の道へ帰ってきた。


主人公(時任謙作)が移住先の尾道から松山(高浜・道後)、広島(宇品・厳島)方面へ小旅行をしたというだけの簡単な記述だが、これは作者29歳のときの事実を反映したもの。大正元年(1912)11月12日、志賀は尾道よりの船で高浜に着き、この小説に記した通りのところを巡っている。

当時、石崎汽船(長く三津浜に本社)の尾道航路(三津浜-高浜-北条-菊間-御手洗-木江-宮浦-鮴崎-竹原-忠海-尾道)というのがあったから、志賀はこれを利用して高浜に来たのかもしれない。大正元年の時点では、同汽船の「第三相生丸」(全長28.76m・総トン数95.75t、改造後103t)と「第六相生丸」(全長31.27 m・総トン数119.02t)が尾道航路に就航していた。

尾道からの船中で志賀は瓢箪にまつわる或る噂話を耳にしたという(当時、尾道では瓢箪集めが流行)。この噂話をもとに志賀が書いたのが教科書にも採録される名短篇「清兵衛と瓢箪」(大正2年1月発表)である。

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〔志賀直哉〕

【参考文献】
『現代日本文学館13 志賀直哉』文藝春秋 1966年11月
阿川弘之『志賀直哉 上』岩波書店 1994年7月
『石崎汽船史 海に生きる』石崎汽船株式会社 1995年9月
山崎善啓『瀬戸内近代海運草創史』創風社出版 2006年4月

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テーマ : 歴史上の人物
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