明治28年10月25日付の子規の手紙-腰の痛みと奈良見物

明治28年(1895)10月下旬の子規の上京の旅(過去記事参照)。同月19日に三津浜港を出航した子規は、広島・須磨を経て22日大阪着。25日には大阪で碧梧桐に宛てた手紙を書いているが、それには次のような文面。

須磨まで出稼候ところ、リウマチスにや左の腰骨いたんで歩行困難にあいなり候。当地にては全く動けぬほどなりしを、服薬の効によりて今日は大分こころよくあいなり候。明日は少しは歩き得べきかと楽しみおり候。(明治25年10月25日付・河東碧梧桐宛)


子規はこの頃より歩行困難になるほどの腰の痛みを感じている。「リウマチス」によるものと子規自身は推測しているが、翌年これが致命的な脊椎カリエスであることが判明する。

この手紙にはまた次のような文面。

今度はぜひ奈良見物と心がけ候ゆえ、歩けねば汽車にて外形だけでも見るつもりなり。ゆえに明日明後日の中には奈良へ行き、それより帰京致すべく候。(同上)


奈良に立ち寄ったあとで、帰京する旨を告げている。手紙にこう書いたとおり、子規は26日より奈良見物、東大寺、薬師寺、法隆寺などを見てまわった。子規の代表句ともいえる「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」はこの奈良旅行で詠まれたものである。29日、再び大阪にもどり、31日、東京新橋着。新橋では鳴雪、碧梧桐、虚子が子規を出迎えたが、子規の顔色はわるく、足をひきずりながら歩いていたという(高浜虚子『子規居士と余』十)。

【参考文献】
『子規全集』第18巻(書簡1)講談社 1977年1月
高浜虚子『回想 子規・漱石』岩波文庫 2002年8月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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