中島神浦「本陣跡」

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中島の西南部に位置する神浦(こうのうら)。

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元治元年(1864)11月、松山藩は長州征討の幕命をうけて出兵、藩主松平勝成の本陣が神浦の庄屋杉田氏方に置かれた。神浦のこの石垣はその本陣跡であるという。

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本陣跡の近くにある常夜灯。文久3年(1863)の建立。

中島の神浦は江戸時代、松山藩領。中島は松山藩領と大洲藩領とに分かれており、神浦・宮野・長師・熊田・吉木・饒・畑里の7村が松山藩領、大浦・小浜・粟井・宇和間の4村が大洲藩領だった。この島の呼び名も両藩では異にしており、松山藩では風早島、大洲藩では忽那島の名称を用いていた(風早島は風早郡の島であることからの呼び名、忽那島は古代以来の島名)。

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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