明治25年9月27日、子規、鳴雪と雅話快談7時間

明治25年(1892)9月27日-この日、子規は内藤鳴雪の家を訪問、俳諧談義・身の上話・世事俗談……7時間にわたって鳴雪と語り合い、大いに鼓舞激励をうけた。

九月廿七日、大学に行き、日高氏の教育学の講説をきく。午飯を学校にて喫し、喜久床に髪を切り、その帰りに南塘先生(注-内藤鳴雪)を訪ふ。先生数日来風邪今なお褥にあり。まづはじめに俳諧談をなし、甲を評し乙を批す。暫くして身の上話に及び、また一転して世事談に移る。或いは諧謔頤を解き、或いは魂膽臍をえぐる。(中略)一話又一話、話頭幾変して止まるところを知らず、長談七時間、少しも口を絶たず、而してついに厭倦を生ぜず。(正岡子規『筆まかせ』第四編「口を絶たざること七時間」)

九月二十七日 午後一時 訪南塘先生 雅話快談 至八時 此日小雨(正岡子規『獺祭書屋日記』明治25年)


この頃の子規は大学中退を決意しており、将来のことなどを相談する相手が欲しかったのだろうが、それにしても7時間、お互いによく話しつづけたものである。

内藤鳴雪は本名素行(もとゆき)、別号南塘、子規より20歳年長、子規が本郷真砂町の常磐会寄宿舎に身を寄せていたころ、この寄宿舎の監督を務めた。漢学に素養があり、漢詩を作るのを得意としていたが、常磐会寄宿舎で子規の俳句熱に感化され、句作に熱中するようになった。俳句のうえでは子規の弟子を自認。明治25年のはじめ頃より句作が楽しみになったというから(『鳴雪自叙伝』十七)、上の日の子規との談論も「まづはじめに俳諧談をなし……」ということになったのだろう。

【参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』第14巻(評論 日記)講談社 1976年1月
和田茂樹編『子規と周辺の人々 増補版』愛媛文化双書刊行会 1993年9月
内藤鳴雪『鳴雪自叙伝』岩波文庫 2002年7月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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