子規と弄球(ベースボール)

明治19年(1886)1月30日、正岡子規(数え年20歳)は友人らと「七変人評論」を作成、この評論の付録にある「七変人遊技競」で「弄球」という語を用いているが、この「弄球」がベースボールの訳語。ベースボールという語に試みられた日本語訳としてはこれが最初のものであるといわれる。その後も子規は「弄球」の語を使ってはいるが(「舎生弄球番附及び評判記」明治23年3月)、実際には「ベースボール」と音写して記すことの方が多い(下に例示)。

運動にもなり、しかも趣向の複雑したるはベースボールなり。(中略)ベースボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし。(『筆まかせ』第一編・明治21年の部「Base Ball」)

被告「これ等はきらひですが、ベースボールといふ遊戯だけは通例の人間よりもすきで、餓鬼になってもやらうと思ってゐます。(以下略)」(戯曲「啼血始末」明治22年)

此ベースボールといふはいと活溌なる遊びにて(中略)上手になればなる程いよいよ寝食を忘れてこれに耽ること実にわき目より見れば不思議とやいはん奇妙とやいはん。(小説「山吹の一枝」明治23年)

ベースボールに至りては之を行ふ者極めて少く、之を知る人の区域も甚だ狭かりしが、近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マッチ)ありしより以来ベースボールといふ語は端なく世人の耳に入りたり。(『松蘿玉液』明治29年7月19日)

草茂みベースボールの道白し (明治29年夏)
夏草やベースボールの人遠し (明治31年夏)

 ベースボールの歌
久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも
国人ととつ国人とうちきそふベースボールを見ればゆゝしも
若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如()く者はあらじ
九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり (「竹の里歌」明治31年)


子規が使った自身の雅号には「野球」というのがあるが、これは「のぼーる」のよみで、「やきゅう」とよませたものではなかったという。ベースボールの訳語として「野球」という語を使ったのは、中馬庚が明治28年2月22日発行の第一高等学校校友会雑誌で「野球部史附規則」と記したのが最初であるらしい

【参考文献】
『子規全集』第2巻(俳句2)講談社 1975年6月 
『子規全集』第3巻(俳句3)講談社 1977年11月
『子規全集』第6巻(短歌 歌会稿)講談社 1977年5月
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』第11巻(随筆1)1975年4月
『子規全集』第13巻(小説 紀行)講談社 1976年9月
和田茂樹『子規の素顔』愛媛県文化振興財団 1998年3月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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