子規とベースボール

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松山市末広町・正宗寺の境内にある「子規と野球の碑」。子規の「ベースボールの歌」九首のうち「打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースボールを人の行きがてにする」「今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな」の二首が刻まれている。

子規は明治18年(数え年19歳)頃からベースボールに熱中、19年の「一高寄宿新報」に「正岡常規氏、岩岡保作氏交互にピッチとキャッチになる」とその名が出るほど評判になっていたらしい。

明治29年7月、子規はベースボールのルールを紹介した記事を新聞「日本」に掲載、「ベースボール未だ曾て訳語あらず、今こゝに掲げたる訳語は吾の総意に係る」と述べ、この球技で使われる用語を以下のように訳している「(『松蘿玉液』)。
「投者(ピッチャー)」「攫者(キャッチャー)」「直球(ヂレクトボール)」「審判者(アムパイア)」「本基(ホームベース)」「廻了(ホームイン)」「除外(アウト)」「打者(ストライカー)」「走者(ラナー)」「満基(フルベース)」「死球(デッドボール)」「飛球(フライボール)」……子規考案のこれらの訳語のうちいくつかは今でも使われている。

【参考文献】
『子規全集』第11巻(随筆1)1975年4月
和田茂樹『子規の素顔』愛媛県文化振興財団 1998年3月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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