正岡子規、彼岸のぼたもちの贈答に一言

明治34年(1901)9月24日-当時は彼岸にぼたもちを贈る習慣があったらしく、東京根岸の子規の家ではこの日、隣家の陸羯南(くがかつなん)より自家製のぼたもちが届けられた。子規の家でもお返しにぼたもち、菓子屋に注文したぼたもちを陸家に贈った。彼岸のこうしたぼたもちのやりとりを子規はばかなことだと述べている。

九月廿四日 秋分 晴
(中略)
陸より自製の牡丹餅(ぼたもち)をもらふ。此方(こなた)よりは菓子屋に誂へし牡丹餅をやる。菓子屋に誂へるは宜しからぬことなり。されど衛生的にいはば病人の内で拵へたるより誂へる方宜しきか。何にせよ牡丹餅をやりて牡丹餅をもらふ。彼岸のやりとりは馬鹿なこと也。(正岡子規『仰臥漫録』明治34年9月24日条)


『仰臥漫録』同日条の食事記録の「間食」の欄には

間食 餅菓子一つ 牛乳五勺ココア入 牡丹餅一つ 菓子パン 塩せんべい 渋茶一杯


かなりの間食の量だが、この「牡丹餅」が陸家よりのものだったのだろう。

【参考文献】
『子規全集』第11巻(随筆1)講談社 1975年4月

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テーマ : 歴史上の人物
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