明治18年8月29日、正岡子規、三津浜港より出航

明治18年(1885)8月29日-夏休みで帰省していた子規(数え年19歳)はこの日、三津浜港から出航、上京の途についた。同日の夜は月が殊に明るく、子規は船中で次の歌を詠んだ。

  八月廿九日再び東京へ赴かんとて三津を船出す。この夜月殊にあかゝりける。
島山はさやかに見えて船の上は烟にくもる月の影かな (『竹乃里歌』明治十八年)


翌日、神戸に上陸。三宮より汽車で大阪に向かうのだが、子規はその汽車の速さに驚いている。

  翌日神戸に上り三の宮より汽車にのりて大坂へ赴かんとするにその早きにめでゝよめる
おしあけて窓の外面をながむれば空とぶ鳥も後ずさりせり
路の辺の木立草村見えわかずたゞ一色のみどりのみにて (同上)


その日は大坂で一泊。翌31日、再び汽車に乗り、京都に立ち寄った。京都では東山で「太閤北庁の化粧殿」を見物。

  翌三十一日再び汽車にのりて西京につき東山に至る。太閤北庁の化粧殿とてありけるを見て
今はたゞ庭に粧ふ萩の花昔ゆかしく匂ふのみにて (同上)


9月1日、神戸にもどり、横浜丸という汽船で横浜に向かった。

  九月一日神戸に帰り横浜丸てふ蒸気船へのりこみ遠州洋へいでける
目ざすべき山とてもなき大海は舟のゆくとも覚えざりけり (同上)


この横浜丸の船中では秋山真之、梅木修吉と連歌を詠んでいる。

  明治十八年横浜丸にて神戸より横浜に来る船中にて連歌
黒雲を起してゆくや蒸気船  常規
 起さぬ時はみえわかずして 真之
如意嶽の大てふ文字もたく火をば 常
 近づき見れば草地なりけり 修吉
月世界海と思ひし処をば 真
 見出したるもあはれとぞなる 修 (以下略)


秋山真之、梅木修吉は子規と同じ松山中学の出身者。この三人は9月1日にたまたま横浜丸に乗り合わせたのではなく、8月29日の三津浜出航より行を共にして来たのであろう。

【参考文献】
『子規全集』第6巻(短歌 歌会稿)講談社 1977年5月
『子規全集』第21巻(草稿 ノート)講談社 1976年11月
『子規全集』第22巻(年譜 資料)講談社 1978年10月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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