「ごちそう」ではなかった子規の「ごちそう主義」

「ごちそう主義」(当ブログ本年8月20日記事参照)を唱えた子規であったが、それほど贅沢なものを食べていたわけではなかった。食の贅沢ということを子規はむしろ知らなかったと碧梧桐などは述べている。

食後には、大抵果物をとった。柿時分、蜜柑時分、時には林檎、梨など、その顔を見ないことはなかった。柿は中でも好物であったと見えて、樽柿が出はじめる、と午後のお八つにも二つ三つ、いかにも食い足りなそうにたべた。(中略)が、奈良の御所柿、岐阜のふゆ柿、そういう高級品でないと、などという贅沢は言わなかった。言わなかったのでなくまだ知らなかったのだ。東京で一番うまい、安物の樽柿で満足していたのだ。柿ばかりではない、食べものの贅沢ということを知らない、書生気分で終始したのだ。食べものの贅沢を知るまで生きてもいなかったし、懐ろも乏しかったのだ。(河東碧梧桐「のぼさんと食物」)


子規の妹律も以下のように証言。

(碧)升さんは柿がお好きでしたが、あの頃、もう樽柿が出るけれなと、大変楽しみにしていられた。樽柿なんて柿は、今では中以下のものです。御所、富有、次郎などいろいろいい柿が沢山あります。それほど好きな柿でも、いいものを食べる機会がなかった……それを残念に思います。
(律)エエ食べ物の小言は余り言わない方でした。ごちそうごちそう言っても、あの時分はこしらえる術も知らなかったし、自分でも食べる折がなかった……今なら、もっとおいしいものを食べさせることが出来ましたでしょう。相も変らず肉と鰻位が関の山で……尤も寝床を動けなくなった後は近所の肴屋に、毎日変ったものは一皿持って来るように言いましたので、あとのお惣菜を宅で作る位でした。それでも料理法の本を台所に置いて、その中で手に合うものをこしらえて見ることもありました。(河東碧梧桐・正岡律「家庭より観たる子規」)


子規は大食こそしたが、贅沢な美食というものはついに経験しなかったようである。

【参考文献】
河東碧梧桐『子規を語る』岩波文庫 2002年6月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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