江戸時代の士族の食生活

江戸時代の士族の食生活は極めて質素なものであったと旧松山藩士・内藤鳴雪(1847-1926)は述べている。

一体、私ども士族の日常生活といえば、頗る簡単で質素なものであった。まず、食物は邸内にある畑で作った野菜をもって菜とし、外に一年中一度に漬けてある沢庵を用いる。魚類は出入りの魚屋から買うのであるが、それも一ヶ月に三日(さんじつ)といって、朔日十五日廿八日の祝い日に限り、膳に上ったもので、その他は「オタタ」(注-女性の魚行商人)の売りに来る白魚位を買った。食用にする醤油等も手作りであって、麦は邸へ肥取りに来る百姓から代価として持って来る。豆は馬の飼料という名義で馬の有無にかかわらず藩から貰うころが出来る。その麦を煎り、豆を煮たものへ、塩と水とを加え、大きな「こが」という桶に作り込み、その下へ口をつけて醤油を取る。糟(かす)もそのまま飯の菜に充るが、なお糠を混じて搗いて糠味噌と名付け、そのままにも喰ったが多くは味噌汁にした。これはちょっと淡泊なもので、野菜などを実に入れて食べるとなかなか甘かった。(『鳴雪自叙伝』六)


一汁一菜といった程度の文字通りの粗食。正岡子規(1867-1902)の家も士族であったが、食生活はやはり質素であったらしく、子規はのちにその粗食のせいもあってこんな虚弱な体になったと述べている。

東洋流の粗衣粗食論は久しきものにて小生なども幼時よりこの主義によりて育てられ候故、弱き体をいよいよ弱く致し候。もし初めよりごちそう主義を実行せしならば今日のごとくかいなき身とはなるまじきものをと存じ候。(正岡子規「消息」ホトトギス第3巻第3号 明治32年12月10日)


「ごちそう主義」とここでいっているのは粗食の弊害を知る子規の持論。その主張を一言でいえば、「牛をおたべなされ」ということであった。(次回につづく)

【参考文献】
『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975年10月
内藤鳴雪『鳴雪自叙伝』岩波文庫 2002年7月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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