明治36年当時の「大阪商船」三津浜港寄港便

明治36年(1903)4月発行の『大阪商船株式会社航路案内』に三津浜港に寄港する同社の定期便が次のように記されている。

三津浜
我社各港行定期汽船左の如し。
一、長浜及び豊後各港細島行 毎日一回
一、伊予・豊後各港、宇和島行 毎日一回
一、深浦・宿毛行 毎日一回
一、下関・博多・長崎・三角・鹿児島行 毎月三回
一、下関・博多・伊万里・佐世保・長崎・三角・若津行 毎月二回
一、音戸・呉・宇品行 毎日二回
一、今治・多度津・高松・神戸・大阪行(細島・宇和島線復航) 毎日二回
一、今治・多度津・神戸・大阪行(西廻り鹿児島線及び若津線復航) 毎月五回


数多くの定期便、三津浜港は当地方のまさに玄関口だった。同書には三津浜について次のような紹介記事。

三津浜は大阪細島線、大阪宇和島線、大阪若津線西廻り、大阪鹿児島線の寄港地にして宇品三津浜線の終点地なり。三津浜は伊予国温泉郡に在る要港にして中国・九州・四国各港への連絡主要港に当り、船舶の出入、日に幾十なるを知らず。陸には松山・道後・高浜行の汽車ありて海陸交通最も頻繁なり。地は西方燧灘に瀕し、眺矚快濶なるを以て西風強きときは船舶の寄港困難を感じ北方一里高浜に寄港することあり。
旅館 窪田、石崎、泉、山谷(孰れも海岸より一丁以内)宿料六拾銭より壹円五拾銭までとす。
料理店 小富士亭、菊川亭


「窪田」は窪田(久保田)回漕店、「石崎」は現在の石崎汽船、「山谷」は現在の山谷運送店。当時は天候等により船待ちをする必要もあったので、回漕店は旅館業も兼ねていた。

明治39年(1906)、三津浜港の北に位置する高浜港が正式に開港。それまで三津浜に寄港していた大阪商船の定期便がすべて高浜に寄港することになり、三津浜港は衰退に向かう。

【参考文献】
『大阪商船株式会社航路案内』駸々堂 1903年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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