明治18年7月28日、正岡子規、安芸の宮島に赴く

明治18年(1884)7月28日-この日、正岡子規(数え年19歳)は三並良、藤野古白、歌原蒼苔と共に三津浜港から乗船、安芸の宮島(厳島)に赴いた。

明治乙酉の年七月廿八日厳島に謁でんと友達を誘ひ朝とく三津の浜にいたり舟待ちし侍るに
いる船をまちこそくらせうしほやくあまの烟もそれと見るまで
   (正岡子規『竹乃里歌』明治十八年)


三津浜港からの乗船は午前11時、徳山丸という蒸気船だった。

十一時徳山丸てふ蒸気船にのりこみて船出す
風もなくたちくる波もなつの日に三津の浜辺を船出する哉
ごゞ島をはなれもやらぬ波の上にはやみまほしき厳しま哉
   (同上)


午後3時過ぎ、厳島着。宿を決めてから名所見物。

三時過ぐる頃厳島につきければ 先づ宿をさだめおき こゝかしこといてあるき 名所を見侍に 殿居のうつくしき景色のたへなる筆にもつくしがたし たゞ思ひあたりしこと共を得るがまにまにかきしるせしのみ
波の面にうかべる宮の影見れば海の下ゆく人もありけり
諸船のつどひ来にけりいつく島いつくを海としらぬばかりに
ともし火は星のごとくにならびたり空か海かとまがふ許りに
(同上)


翌29日。夕刻、亀鶴丸という蒸気船で広島に行き、船問屋藤川に宿泊。

廿九日暁にいたりて見れば昨日つどひし船のすくなくなり居たれば
宵の間は星かとも見し諸船のあけゆくまゝにうせにける哉

この日夕刻亀鶴丸てふ蒸気船にて広島につき 藤川てふ船問屋にとまりて その庭もせに芭蕉のありけるを戯にうつしとりて
水茎のつたなき跡も後の日にけふの宿りのかたみとや見ん
   (同上)


30日、三津浜港に着き、帰宅。

三津浜に着ければ
いでふねにかりねの夢をむすびあへずうしほみつなる浜につきけり
   (正岡子規「ノート」)


宮島・広島方面への旅。子規がこの年の夏休みの帰省中(7月5日~8月29日)におこなった小旅行であった。随筆『筆まかせ』には同年夏の帰省に言及した次の一文。

勉強せざるべからずとは絶えず思へり。されど猶学課はきらひなり。学課外の事も学課に追はれて思ふ様に出来ず。夏休みにはと思ふこと度々なりしが、明治十八年の夏は帰省して志成らず。蓋し帰省すれば紳士になりたる心地すると、よくもてなされるとにて勉強は出来ず。(正岡子規『筆まかせ』第一編「当惜分陰」)


上の旅行も含めて、遊びに集中した夏休みだったようである。

【参考文献】
『子規全集』第6巻(短歌 歌会稿)講談社 1977年5月
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』第21巻(草稿 ノート)講談社 1976年11月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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