『坊っちゃん』で非難される松山

夏目漱石の『坊っちゃん』には松山の悪口が頻出する。

県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布の聯隊より立派でない。大通りも見た。神楽坂を半分に狭くした位な道幅で町並はあれより落ちる。廿五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だ抔(など)と威張つてる人間は可愛想なものだと考へながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広い様でも狭いものだ。(『坊っちゃん』二)

一時間あるくと見物する町もない様な狭い都に住んで、外に何も藝がないから、天麩羅事件を日露戦争の様に触れちらかすんだらう。憐れな奴等だ。(中略)何でこんな狭苦しい鼻の先がつかへる様な所へ来たのかと思ふと情なくなつた。(『同』三)

田舎丈(だけ)あって秋がきても、気長に暑いもんだ。(『同』四)

夫(それ)にしても世の中は不思議なものだ。虫の好かない奴が親切で、気の合った友達が悪漢(わるもの)だなんて、人を馬鹿にして居る。大方田舎だから万事東京のさかに行くんだらう。物騒な所だ。(『同』六)

住田まで上等が五銭で下等が三銭だから、僅か二銭違ひで上下の区別がつく。かう云ふおれでさへ上等を奮発して白切符を握ってるんでもわかる。尤も田舎者はけちだから、たった二銭の出入でも頗る苦になると見えて、大抵は下等へ乗る。(『同』七)

こんな卑劣な根性は封建時代から、養成した此土地の習慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教へてやったって、到底直りっこない。こんな土地に一年も居ると、潔白なおれも、この真似をしなければならなくなるかも知れない。(中略)どうしても早く東京へ帰って清と一所になるに限る。こんな田舎に居るのは堕落しに来て居る様なものだ。(『同』十)

中学と師範とはどこの県下でも犬と猿の様に仲がわるいさうだ。なぜだかわからないが、丸で気風が合はない。何かあると喧嘩をする。大方狭い田舎で退屈だから、暇潰しにやる仕事なんだらう。(『同』十)

其夜おれと山嵐は此不浄な地を離れた。船が岸を去れば去る程いゝ心持ちがした。神戸から東京迄は直行で新橋へ着いた時は、漸く娑婆へ出た様な気がした。(『同』十一)


これほどひどく書かれているのに、松山では『坊っちゃん』が喜ばれ、まちの誇りといった扱い。司馬遼太郎はこの点について次のように述べている。

漱石の『坊っちゃん』は(中略)名作ではありますが、ずいぶんと伊予松山の人をばかにした小説でもあります。しかし、松山の人はけっこう喜んでいますね。坊っちゃん列車とか、坊っちゃん団子とか、松山はなにかにつけて坊っちゃんです。自分たちがばかにされているのを喜ぶというのは、なかなかしたたかなユーモアの精神です。(中略)漱石の時代の江戸っ子は、田舎を実に嫌いました。(中略)洗練された人のセンスから滑稽を感じて、『坊っちゃん』を書いた。それを松山の人が喜んでいるのは、非常に高級な感じがします。(司馬遼太郎講演「松山の子規、東京の漱石」)


松山でこの小説が受けいれられている理由。丸谷才一は「日本史を縦断する都と鄙(ひな)という対比のせいだと論じたことがある」といい、「首都崇拝」が「伝統として刷込まれているから松山市民は坊っちゃんの軽蔑を気に病まなかった」と解していたが、「これで押切るのは無理」、「今度、わたしは別解を得た」と次のように述べている。

『坊っちゃん』では松山を拉し来(きた)って日本人の島国根性を非難している。識見の低さ、夜郎自大、洗練を欠く趣味、時代おくれを咎めるのに、日本の縮図として四国の一都市を用いたのだ。そんなふうに一国の代表として自分たちの町が選ばれ、その結果、名作が成ったことを松山の人々が光栄に感じているとすれば、その読解力は大いに評価しなければならない。(丸谷才一「『坊っちゃん』100年」)


さまざまに書かれている悪口は実は日本人全体を風刺したもの、松山はその日本の縮図として選ばれただけ……。松山の人がそう捉えているかどうかはともかく、作品の読み解きとしてはおもしろい。この丸谷説にしたがえば、『坊っちゃん』は時代批判の小説としての意義を持つということにもなる。

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【参考文献】
『漱石全集』第2巻 岩波書店 1994年1月
『司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版Ⅱ』朝日新聞社 1997年7月
丸谷才一『袖のボタン』朝日新聞社 2007年7月

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テーマ : 文学・小説
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