正岡子規「小生今までにて最も嬉しきもの……」

明治16年(1883)6月8日-この日、子規(数え年17歳)は在京の叔父加藤恒忠(拓川)よりの手紙を受け取った。手紙には子規がかねてより念願していた上京を許す旨がしたためられてあった。

松山に居てもこの節、中学校も面白くなく余り勉強も成されず候模様ゆえ、さすれば半年ぐらいは学問は出来ずとも人の食客しても構わぬ覚悟なれば、御来京にても差し支えこれ有るまじくと存じ候。(中略)来るつもりなればこの書到着次第、即日にも艦便次第決行成すべく候。(明治16年6月2日付・加藤恒忠の子規宛て書簡)


手紙を読んだ子規は即刻親戚の佐伯家に赴き相談、上京と決まった。

倅(せがれ)の叔父の加藤(恒忠氏)から近々西洋へ行くから今東京に居る内に来い、さうすると西洋へゆく迄になにかに世話してやるからといふ手紙が倅にまゐりました。倅は学校(中学)から戻って来て昼の御飯もたべずに大喜びで其手紙を持って佐伯へ相談に行きました。倅の従兄-佐伯政直と云て今松山の市中に住んで銀行へ出て居ます-これに相談していよいよ東京へ出るに極った時は誠に大喜びでした。大喜びで急いで其翌々日かに出立しました。東京へ出るのが定まった時は一番うれしさうで御坐いました。(子規母堂談「子規居士幼時」)


その翌々日、子規は東京へと旅立つ(三津浜港よりの出航)。叔父加藤恒忠よりの上京許可の手紙、これを受け取ったことを子規は生涯の大きな喜びの一つと語っている。

余は生れてよりうれしきことにあひ、思はずにこにことゑみて平気でゐられざりしこと三度あり。一は在京の叔父のもとより東京に来れといふ手紙来りし時、第二は常盤会の給費生になりし時、第三は予備門へ入学せし時也。第一は数月前より遊思勃としてやまず、機会あらば夜ぬけなどせんと思ひし処なれば也。(正岡子規『筆まかせ』第一編「半生の喜悲」)

小生今までにて最も嬉しきもの、初めて東京へ出発と定まりし時、初めて従軍と定まりし時の二度に候。(明治28年2月26日付・正岡子規の五百木良三宛て書簡)


明治16年(1883)6月8日、131年前の今日が子規のその嬉しき日であった。

【参考文献】
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』第18巻(書簡1)講談社 1977年1月
『子規全集』別巻1(子規あての書簡)講談社 1977年3月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月

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テーマ : 歴史上の人物
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