松風会ゆかりの松山市立高等小学校跡

▼ 松風会ゆかりの松山市立高等小学校跡(二番町4丁目・番町小学校)
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松風会は明治27年(1894)3月27日、松山市立高等小学校の教員有志で結成した俳句結社。同校職員室に教員集まっての雑談の席で、中村一義(愛松)校長が野間門三郎(叟柳)に「君は発句がうまいそうだがぼくの詠んだ句を批評してくれ」と言い、談盛り上がってその日のうちに伴政孝(狸伴)宅で句会に及んだのが同会の始まりであったという。

子規の親友・柳原極堂も後日、入会。28年秋、子規が帰省して愚陀仏庵に漱石と同居していた時期は、極堂らの松風会員が毎日のように同庵を訪問して子規に俳句の指導を受け、日参組と称された。漱石は当時のことを

僕は二階に居る、大将は下に居る。そのうち松山中の俳句を遣る門下生が集まって来る。僕が学校から帰って見ると、毎日のように多勢来て居る。僕は本を読む事もどうすることも出来ん。尤も当時はあまり本を読む方でも無かったが、とにかく自分の時間というものが無いのだから、止むを得ず俳句を作った。(「正岡子規」)

と語っているが、やや誇張があるようで、柳原極堂は

例の漱石流の文章で、面白く読ませようといふ文章のあやから事実を曲げてゐるのである。漱石は二階に、子規は階下に居り、我々松風会員が子規の間に運座を開いたといっても、多い時で十名の上にのぼる事は稀であって、普通五、六名、少い時は二、三名に過ぎぬ。加之(しかのみならず)病人に世話になってゐるのだから、各自慎んで大声をあげるとか騒ぐとかいふ様なことは少しもない。常に至極静粛であった。(『友人子規』)

と述べている。

【参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』別巻2(回想の子規1)講談社 1975年9月
『子規全集』別巻3(回想の子規2 附補遺)講談社 1978年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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