「梅が香やおまへとあしの子規真之」の句碑

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梅が香やおまへとあしの子規真之 黙禅



大丸山(松山市梅津寺町)にある酒井黙禅の句碑。「~おまへとあしの子規真之」、この場合の「真之」は「しんし」と音読み。「おまへ」「あし」と呼び合うのは「五分出合」の親友であることを意味していた。

松山では大人も子供も、友人同士の間では、相手を「お前」と呼び、自分を「あし」と言った。之は主として士族仲間の通用語であったが、此の「お前、あし」と呼ぶ仲間を維新前には「五分出合」と称してゐた。相互対等の意味であらう。(秋山好古大将伝記刊行会『秋山好古』)



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正岡子規(左)・秋山真之(右)

句碑には、日本海海戦の出撃電報と旗艦「三笠」に掲げられたZ旗の信号文も刻まれている。

▼ 出撃電報
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接敵艦見之警報聯合艦隊欲直出動撃滅之 本日天気晴朗波高(敵艦見ゆとの警報に接し聯合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす 本日天気晴朗なれども波高し
  大正壬戌五月二十七日 東郷平八郎


「大正壬戌」は大正11年(1922)。同年5月27日、東郷平八郎の書。

▼ Z旗の信号文
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皇国の興廃此の一戦に在り 各員一層奮励努力せよ
  明治三十八年五月廿七日 東郷平八郎


「明治三十八年五月廿七日」は日本海海戦の日である。

出撃電報の冒頭は「敵艦見ゆ」のかたちで流布しているが、正しくは「敵艦隊見ゆ」であったらしい。「敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす」までは飯田久恒参謀が書き、秋山真之参謀がこれに「本日天気晴朗なれども波高し」と付け加えた。「天気晴朗」は視界がよく敵艦隊をとり逃がす恐れがない、「波高し」は舷の高い日本の艦のほうが波浪の状況下有利、という意であったといわれるが、近年の説では、「天気晴朗なれども波浪のため連繋機雷作戦の実施は困難」と伝えようとしたものだという。

「皇国の興廃~」の信号文については、次のようなエピソードがある。、

甲板士官だった参戦大先輩の談。メガホンで信文のまま、「皇国の興廃云々」と艦内に伝えても、特に兵員にとってはチンプンカンプンで、「わからんぞ」などの声が返ってきた。そこで言い方をくだいて、「今日こそがんばらんとお国が亡ぶ。みんなしっかりやれ」とどなって歩いて、ようやく徹底したという。各艦同じ状況であったろう。(志摩亥吉郎「旗艦三笠のZ旗秘話」文藝春秋臨時増刊昭和四十七年十一月号)



昭和38年(1963)、石手寺の境内に秋山真之の銅像とこの黙禅の句碑が建てられたが、寺にはふさわしくないという理由からであろう、43年(1968)、銅像・句碑ともに梅津寺町の現在地に移された。

【参考文献】
秋山好古大将伝記刊行会『秋山好古』1936年11月
『文藝春秋にみる「坂の上の雲」とその時代』文藝春秋 2009年11月
半藤一利・戸高一成『日本海海戦かく勝てり』PHP文庫 2012年5月

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テーマ : 日記
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