三津出身の力士・押尾川の陣幕、講談に登場

寛政3年(1791)6月の上覧相撲、その雷電と陣幕の取組で、陣幕が勝った(昨日の記事参照)というのは大番狂わせで、講談で語られるネタともなっている。

その次が関脇、陣幕に雷電でございます。この相撲に陣幕は今日こそはという意気組、先だって陣幕は雷電のために春場所にやられております。両人見合っておりましたが、陣幕はひと足早く雷電の先を取りますつもりでございますから、互いに気合いが合うとともに、軍配を引くや否や陣幕は早くも雷電ののど元へ手をかけまして、のど締めという手でしたたかに締めつけまして、一度に土俵へ押しつけました。誠に呆気ない勝負でございます。雷電と陣幕の立合いなればさぞかしおもしろい手があって、見物であろうと思ったのが陣幕のために突然のど締めにかけられましてさすがの雷電もどうすることも出来なく、ついに押しつけられたのでございます。これで陣幕に軍配が上がりました。このとき雷電はにっこり笑いまして、「陣幕に押し詰められし御上覧今年負けても雷電は勝つ」という狂歌を詠みましたので、力士はどっと笑ったそうでございます。雷電という男もなかなかおもしろい気質で、しかし場所柄だけにいささか不謹慎であったという非難もございました。さて関脇の職に堪えたりというので、弦を陣幕に与えたそうでございます。(『長篇講談 雷電為右右衛門』第20席「上覧相撲の事、並びに雷電、陣幕に敗れて狂歌を詠む事」)


雷電が「陣幕に~」の狂歌を詠んだというのは作り話であろうが、人々の話題となった一番であったことは間違いない。三津に生まれた陣幕嶋之助(押尾川巻右衛門)はこの一番で大いに名をあげ、人々に語り継がれる力士となった。

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その陣幕=押尾川の墓(三津・元町7番地)。「押尾川」の上の三字は「釈教祐」。浄土真宗の門徒であった押尾川の法名である。これを「釈経福」と解読している論考もあるが、「経福」では法名としていささかおかしく、上記のように読むべきものと思われる。

【参考文献】
昇竜斎貞丈講演『長篇講談 雷電為右衛門』博文館 1918年11月

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