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四国遍路を「呵責放逐」-愛媛県の布達

明治6年(1873)4月、当時の愛媛県は県内の正副区戸長宛てに四国遍路の巡礼者を見つけ次第、「速カニ呵責放逐シテ片時モ管内ニ置クベカラズ」という布達を出している。四国遍路は「野蛮之弊風」で「醜態不可云(いうべからざる)モノ」であるというのがその理由であった。同年8月、県はまた盆踊りを禁止する旨の布達を出している。盆踊りは「鄙猥ヲ極メ一般風儀ニ関係」するという理由からであった。当時の為政者たちがおこなった開化政策というものはまことに強圧的で乱暴極まりない。徳川の旧政権は民衆に対してここまで強権を発動するというようなことはなかったのではなかろうか。文明開化を唱えた明治新政府よりも旧徳川政権のほうがはるかに文明的だったような気がする。参考までに下にその愛媛県の布達を転記しておくことにしよう。

四月 正副区戸長エ
遍路物貰等之儀ハ[一字判読不能]テ不相成段(あいならざるだん)兼テ御布達ニモ相成居候処(あいなりおりそうろうところ)此節ニ至テモ猶(なお)旧習ヲ存シ四国順拝抔(など)ト唱ヘ人之内ニ立テ食ヲ乞ノ類全ク野蛮之弊風ニテ其醜態不可云(いうべからざる)モノ也 又食ヲ与ルモノハ仏説之所謂後生之為抔ト心得候ハ必竟姑息ノ私情ニシテ却テ人民保護ノ障碍タルコト無論ニ候条 区々ノ長タル者此理ヲ篤ト了解シ遍ク管内ノ人民ニ説諭シ向後屹度(きっと)心得違無之様(これなきよう)厚ク注意致シ右体ノ者ハ見当リ次第速カニ呵責放逐シテ片時モ管内ニ置クベカラズ モシ食ヲ与ル者ハ送リ付ノ入用等出費申付且品ニヨリ屹度可及沙汰(さたにおよぶべく)候条此旨区々無洩可触示(もれなくふれしめすべく)候 尤(もっとも)右等ノ儀ハ区長戸長ノ責ニ候条説諭於不行届ハ其役前ノ落度タルベキモノ也

第六拾五号 八月廿九日
従来盆会中手踊リニハカノ類興行致来候趣ノ処 右ハ男女混雑尤鄙猥ヲ極メ一般風儀ニ関係致候ニ付自今一切不相成(あいならず)候事


上引と同種の布達は当時の他府県も出している。牧原憲夫著『日本の歴史13 文明国をめざして』によって例示しておくことにしよう。

「初午、盆踊り、灯籠祭りなどとなえ、勝手に数日も休業するのは心得違いである」(愛知県)、「花火は一瞬の間に多数の金銭を費やし、人の死傷、家の損傷も引き起こすので、花火興行を禁止する」(千葉県)、「盂蘭盆会と称して、真夏に腐敗しやすい飲食を人に施したり、施餓鬼や念仏踊りをするのは時間や天物の浪費であり、文明に進歩すべき児童を惑わすので、一切禁止する」(京都府)、「裸踊りは文明の今日、慙愧に堪えないので厳禁する」(福岡県)



【典拠文献・参考文献】
愛媛県編『明治六年 愛媛県布達全書』 1879年9月
牧原憲夫『全集日本の歴史13 文明国をめざして』小学館 2008年12月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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