明月上人-子規がその書を評価した松山・円光寺の僧

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湊町4丁目の円光寺(真宗大谷派)にある明月上人の胸像。明月は同寺7代住職、古文辞学(徂徠学)に通じ、書と詩文に秀でた江戸中期の僧である。子規はその書を尋常を抜き出たものと高く評価した(明治32年8月23日付書簡)。

明月は享保12年(1727)周防大島生まれ、法名・明逸、中秋の名月の夜に生まれたので明月と号したという。15歳のとき来松して円光寺義空に師事、のち京・大坂・江戸に遊学して古文辞学を学んだ。また堺の南山人(宜周)方に寄寓して書を習い、特に草書に巧みで、越後の良寛、備中の寂巌とともに三緇と称えられた。34歳、帰松して円光寺住職就任。翌年、藩の反対を押し切って同寺に唐風の楼門(普照楼)を建てた。著作に『扶桑樹伝』『通機図解』『西遊記』など、漢詩に「道後温泉詩」八首などがある。寛政9年(1797)、同寺で没。

円光寺の境内には明月の書碑。「一佛国界皆聞法」。

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中国浄土教の大成者・善導(613-681)の『般舟讃(はんじゅさん)』の文(「一仏国界皆聞法 遊歴他方修供養〈一仏の国界にしてみな法を聞き、他方に遊歴して供養を修す〉」云々)を書したもの。

【参考文献】
和田茂樹『子規の素顔』愛媛県文化振興財団 1998年3月
愛媛県史編纂委員会編『愛媛県史 学問・宗教』1985年3月

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テーマ : 歴史上の人物
ジャンル : 学問・文化・芸術

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