放浪の果ての松山での死、種田山頭火

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昭和14年(1939)10月1日、種田山頭火(1882-1940)は広島・宇品港から乗船して、松山・高浜港に着、「秋晴れひょいと四国へ渡って来た」と詠んだ(句碑は高浜1丁目)。同月5日、念願の野村朱燐洞の墓に詣で、その後、四国遍路。12月15日に高橋一洵らの世話で御幸寺(御幸1丁目)境内の納屋に入居した。これが一草庵と呼ばれる山頭火の終の住処である。

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「一草庵」の扁額は山頭火の師・荻原井泉水の揮毫。

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昭和15年(1940)10月11日、山頭火は一草庵で死去。享年五十九。死の前夜も同庵で句会を催していた。現在の一草庵(上の画像)はのちに再建されたもの。

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一草庵の敷地には、「一洵君に」の前書「おちついて死ねさうな草枯るる」の山頭火句碑。この草庵を世話した高橋一洵に感謝して同句が詠まれた。

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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
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