山頭火が敬慕した夭折の俳人、野村朱燐洞

DSCF6998_convert_20140318073533.jpg  DSCF6136_convert_20131120130008.jpg

「かがやきのきはみ白波うちかへし」(左)、「風ひそひそ柿の葉落としゆく月夜」(右)。ともに野村朱燐洞(-しゅりんどう 一時期「朱鱗洞」とも書く)の句碑。「かがやきの~」は高浜1丁目の蛭子神社、「風ひそひそ~」は喜与町2丁目の三宝寺にある。

野村朱燐洞は明治26年(1893)、温泉郡素鵞村小坂(現・松山市小坂)の生まれ、本名守隣(もりちか)。松山で十六夜吟社(いざよい-)を結成し、自由律俳句運動を展開して将来を期待されたが、大正7年(1918)、わずか24歳で死去した。

漂泊の俳人・種田山頭火(1882-1940)はこの朱燐洞を敬慕していた。死の前年に松山を訪れたのは朱燐洞の墓参りをするためであったという。

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード