碧梧桐が句に詠んだ銀杏寺「定秀寺」

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三津・神田町の定秀寺(浄土真宗本願寺派)。伊予鹿島城主河野通定、通秀父子の名から一字ずつ取った定秀寺の号を本願寺より授けられたという。

蓮華峯定秀寺
永禄元年創立。慶長十年三月、加藤嘉明の命により現地に移る。
当山開基宗徳法師は俗姓河野氏、名は通秀、父は刑部大輔通定、予州鹿島城主也。(中略)故ありて(通定は)遁世の後、城州山科の郷、本願寺蓮如上人に値遇して念仏の法を授かり、直筆の名号等を賜り、国に帰りて尊敬安置す。但し法体にあらざるを以て、今に是れを開基とせず。通秀は此の通定の嫡男也。大坂石山本願寺顕如上人、織田信長と対陣の時、籠城し出家して宗徳と云ふ。信長の軍を屡々破り、上人より感状並に刀一振を賜ふ。後本国に還りて一宇を建立して専光寺と号す。是れ当山の開基なり。嫡男通景、法名宗玄、第二世相続す。当寺は祖父通定、父通秀の勲功より就()るを思ひて良如大僧正に請ふて父祖の名の文字を取りて定秀寺と改む。(愛媛県編『寺院に関する調査』)


『愛媛県史』によると、県下の真宗寺院中、石山合戦に参加した記録の見えるのはこの寺だけであるという。

河東碧梧桐の日記『続三千里』明治43年(1910)8月11日条に次のような記述。

八月十一日。晴。
三津水戸鳥会の大会に列した。(伊予松山にて)
納涼や養魚餌食(は)みの汐満ちて 一修
葭川に野良鵜鳴く門納涼かな 雷死久
納涼詣り走り咲く草夜白みて 連翠
納涼更けて子授け星の行く頻り 隣仏
銀杏寺をたよるや御船納涼の日 碧梧桐


碧梧桐が参加しての同日の水戸鳥会(三津の俳句結社)の大会はこの定秀寺で開かれた。「隣仏」は当時のこの寺の住職。寺の境内には碧梧桐が詠んだ「銀杏寺をたよるやお船納涼の日」の句碑が建てられている。

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この寺の境内にある大銀杏は沖合を行く船からもよく見え、三津の目印となっていたので、「銀杏寺をたよるや」と詠まれた。

【参考文献】
愛媛県編『寺院に関する調査(五)』1936年
河東碧梧桐『続三千里(中)』講談社 1974年7月
愛媛県史編纂委員会編『愛媛県史 学問・宗教』1985年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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