寛永年間の本堂と臥龍の松の「善宗寺」

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三津・神田町の善宗寺(浄土真宗本願寺派)。戦国末期、本願寺の顕如宗主に帰依した三浦義宗が土佐に義宗寺を建立、のちにこれが当地に移って善宗寺と号したという。本堂は寛永13年(1636)の建立と伝えられている。愛媛県編『寺院に関する調査』には、

遍照山善宗寺
創立 寛永十三年四月
開山 道空律師三浦六郎兵衛尉義宗
義宗は永禄二年大坂石山本願寺にて剃髪、第十一世顕如上人の御剃刀を頂戴して法名を道空と賜ふ。禁裏より権律師の勅許を蒙る。土佐の国高知に還りて一宇を建立して義宗寺と号す。其の后、予州松山加藤嘉明公の請に応じて永禄七年松山に移り、別府村の内清水に草庵を結び居す。后三津浜町松前町に一宇を建立し居す。后改めて久宝町に領主より土地を頂き寛永十三年現在の堂宇を建立す。


とあるが、記述には年代の合わないところもある(永禄七年〈1564〉は加藤嘉明が伊予に領地を得るはるか以前)。

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善宗寺の境内には寛永13年(1636)頃に植えられたという松の名木があり、「臥龍の松」と呼ばれて市の保存樹木にも指定されていたが、平成18年(2006)に枯死した。上の画像はこの松の記念碑。

安政3年(1856)頃から明治11、2年(1878、79)頃までこの寺には「臥龍学舎」という寺子屋があり、算術・珠算・習字・漢文(『大学』『論語』『日本外史』)などを教えていた。謝儀はひと月・金10銭。三津の遊廓の女紅場で仮名や茶の湯を教授していたこともあったという。

明治初期、不遇の時代の裏千家家元(玄々斎)がこの寺に身を寄せていたことがある(→ブログ2012年8月3日記事)。

【参考文献】
愛媛県編『寺院に関する調査(五)』1936年
愛媛県編『維新前寺子屋・手習師匠・郷学校・私学校の調査(二)』1936年

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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