三津浜町の歴代町長

三津浜町は明治22年(1889)12月15日に発足(当初、和気郡三津浜町、のち温泉郡三津浜町)、昭和15年(1940)8月1日、松山市に編入されるまで存続したが、この間の最後の何代かを除く町長の就退任については、『伊予三津浜郷土史年表』に次のようにある。

明治二十三年一月十八日 町会召集町長選挙ノ件 同月二十九日左ノ通決定
近藤貞次郎(名誉町長) 今井保忠(助役)
明治二十九年九月十五日 近藤町長辞任 同月十九日石崎平八郎当選就任
明治三十二年五月十二日 町長石崎平八郎辞任 後任清水澹(有給町長)
明治三十二年十二月 町長清水澹辞任 後任逸見義一
明治四十二年九月二十七日 逸見町長職務停止ニ付キ二十八日柏木郡書記職務管掌ノタメ赴任
明治四十三年七月二十七日 名誉町長大原右一郎当選
大正三年十二月 松田定五郎名誉町長ニ当選
大正七年三月 有給町長加井尚孝当選
大正九年四月 名誉町長宮崎張義当選
昭和二年十一月 久松定夫名誉町長当選


発足時から昭和初年までの歴代町長は、①近藤貞次郎、②石崎平八郎、③清水澹、④逸見義一、⑤大原右一郎、⑥松田定五郎、⑦加井尚孝、⑧宮崎張義、⑨久松定夫。

④の逸見義一が「職務停止」となっているのは、三津浜築港疑獄事件で罪に問われたため(公判では無罪)。⑤の大原右一郎は大正3年7月10日、町長在職中に三津浜海水浴場で溺死。⑨の久松定夫は昭和7年3月24日、町長在職中に死去した。

⑨久松定夫のあとの町長であるが、『松山市史』第3巻(290頁)に昭和6年~11年の三津浜港整備事業(第一・第二船溜の築造)が山谷市松町長らのもとで行われたとの記述、『愛媛県史 社会経済4 商工』(698頁~699頁)に昭和13年4月当時の三津浜町長が高橋惣太郎であるとの記述、同書(699頁)に昭和14年3月、黒田政一三津浜町長選任との記述がそれぞれあるから、⑩山谷市松、⑪高橋惣太郎、⑫黒田政一とつづくものと思われる(⑫黒田政一のとき三津浜町は松山市に編入。黒田はのち松山市長)。

三津浜町の公の町史というものは編纂されていないので不明なことが多い。歴代町長の就退任の日にちも多くは不明。県下発行の当時の新聞(県立図書館マイクロフィルム所蔵)を精査すれば判明するのだろうが、作業的には困難である。

【参考文献】
松本常太郎編『伊予三津浜郷土史年表』三津浜郷土史研究会事務所 1935年9月
愛媛県史編纂委員会編『愛媛県史 社会経済4 商工』1987年3月
愛媛県史編纂委員会編『愛媛県史 人物』1989年2月
松山市史編集委員会編『松山市史』第3巻 1995年5月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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