秋山好古、幻の人事

第19代内閣総理大臣・原敬はらたかし)の日記、大正10年(1921)7月2日条に、「秋山好古を参謀総長に……」という旨の注目すべき記述がある。

前回閣議後、山梨陸相内談に、来月即ち本日、上原参謀総長其職を去り、辞意申し出たり、秋山大将好古を以て後任に充つべし。(中略)上原・秋山の事は、田中陸相在職中の内約にて、即ち山梨之を決行するものなるが、是れにて従来参謀本部が常に軍国主義を固持して陸軍大臣に抗争し、即ち閣議にも影響せしめ、田中等が常に板ばさみとなりし事を除く事を得べき計画なり。果して予期通に行はるゝに至らば、国家の一進歩を促すべしと思はる。(「原敬日記」大正10年7月2日条)


原敬は上原勇作参謀総長の後任に秋山好古を充てることを考えていた。当時、参謀本部は「軍国主義を固持して陸軍大臣に抗争」。この参謀本部の暴走を抑えることができるのは、軍国主義者でない軍人、秋山好古をおいてほかにないと原敬は考えたのであった。秋山を参謀総長にすれば、参謀本部の暴走はくいとめられる。それは「国家の一進歩」にもなると原は考えていた。軍の暴走を防ぐための人事。だが、この人事は実現せず、原は暗殺され(大正10年11月4日)、秋山は故郷松山で中学の校長となった。原の構想していたこの人事がもし実現していれば……。最晩年、一中学の校長であった秋山の死は昭和5年(1930)11月4日、その忌日は奇しくも原と同じであった。

▼ 秋山好古銅像(松山市歩行町「秋山兄弟生誕地」)
DSCF6055_convert_20131114185048.jpg

【参考文献】
松本健一『原敬の大正』毎日新聞社 2013年9月20日

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード