秋山好古「あれを思うと腹が立つ」

慶応4年(1868)1月上旬の鳥羽・伏見の戦いで松山藩は敗者の立場となった。同月下旬、城下には土佐藩兵、三津には長州藩兵が進駐して松山藩はその支配下に置かれることとなった。秋山好古はこのとき数え年10歳であったが、藩の屈辱のありさまが心に焼き付き、のちのちまでこのときのことを悔しがった。

維新の前後に於て吾旧藩民は伏見の役や長州征伐に敗北して帰り(中略)前述の事変の際、長州人が僅かに一艘ほかなき蒸気船を奪取り帰りたり。又土州人が来りて土州下陣など云ふ札を門戸に張付けたることなどありて好古も当時幼少ながら其実況を目撃して今日猶ほ切歯に堪へざることに候。(秋山好古留学先のフランスから郷里に宛てた手紙)


司馬遼太郎の『坂の上の雲』にもこれについての言及がある。

城も市街も領土も、一時は土佐藩が保護領としてあずかるかたちとなった。城下の役所、寺などには、
「土州下陣」
というはり紙が出された。信さん(注-秋山好古)は十歳の子供ながら、この光景が終生忘れられぬものになった。
「あれを思うと、こんにちでも腹が立つ」
と、かれは後年、フランスから故郷に出した手紙のなかで洩らしている。(『坂の上の雲』「春や昔」)


土佐藩の占領行政はそれでもまだ穏やかなものだったらしいが、長州藩は松山藩がもっていたただ一隻の蒸気船を奪い取った(『坂の上の雲』にも「そのとき長州人は松山藩がもっていた最大の財産である汽船を奪った」と言及)。この蒸気船と長州によるその略奪については次回のブログ記事で述べることにしよう。

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【参考文献】
秋山好古大将伝記刊行会(編集・発行)『秋山好古』1936年11月
司馬遼太郎『坂の上の雲(一)』(新装版)文春文庫 1999年1月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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