「松田池跡」碑

▼ 「松田池跡」碑(松山市御幸1丁目)
DSCF6073_convert_20131121185118.jpg

古くは山越村と呼ばれたこの地。「松田池築造誌」によると、「元来山越村ハ有名ナル旱魃地」で「年々歳々旱害ノ厄、会ハザルナク……」という状態であったために、里正の河内周五郎が発起して村の字松田に溜池が造られることとなった。明治11年(1878)1月7日に起工式がおこなわれ、翌年5月12日完成。周囲392間(約710m)の溜池であった。

昭和も後半になると、この地域も宅地化が進み、溜池としての必要がなくなったので、同52年(1977)から埋め立てられ、松山大学の御幸グラウンドとなった。

いま溜池の数はかなり少なくなっているだろうが、昭和52年の「溜池調査」によると、松山市400、北条市253、宇和町140、今治市120、伊予三島市117……の数の溜池があったことが報告されている。

【参考文献】
渡部重之「ため池「松田池」拾遺」(伊予史談309号 1998年4月)
門田恭一郎「伊予の溜池について」(伊予史談310号 1998年7月)

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 愛媛県情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 松山情報へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード