古町と外側(とがわ)

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古町より外側に古し梅の花 子規


伊予鉄道古町駅正面北(平和通西端)にある子規句碑。古町、外側(とがわ)は松山の城下の区域の呼称。藩政時代以来、城下は西北部の古町、東南部の外側に大きく区分けされていた。

松山の商業の中心地はもとは古町であったが、のちにこれが外側に移った。

松山市 市街は城山の麓をめぐって東西二十町、南北十八町にわたり、戸数は一万、人口四万を越え、交通の便利はいふもさらなり。商工の業は日をおふて繁盛を極めてゐる。旧城廓の一部(元の二の丸三の丸)は今では兵営となってゐるが、この兵営を境として東南部を外側と称し、西北部を古町と呼んでゐる。古町は旧時商業の中枢であって、商家櫛比、市区端正、名ある旧家も多かったが、時代の潮流はいつの間にか、商業の中心点を外側方面に移してしまった。しかしこれと同時に市の工業中心は古町方面へ移って来た。(中略)
外側が松山市商業の中心であるのに対して、古町は松山市の工業及び製造業の中心をなしてゐる。又一面には古町は卸商が多く、外側は小売商が多い。(中略)それから松山の主なる酒造家は皆古町に在る。(中略)伊予絣の集散は一に古町に於て行はれる。(明治42年刊『松山案内』)


商業の中心地が古町から外側に移ったのは、伊予鉄道の開業(明治21年)頃からであろう。

【参考文献】
東俊造編『松山案内』松山市勧業協会 1909年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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