「御竹藪」

正岡子規の『散策集』明治28年9月20日条に「御竹藪」という語が出る。

  御竹藪の堀にそふて行く
古濠や腐った水に柳ちる
水草の花まだ白し秋の風


この「御竹藪」というのは、湯築城跡(道後公園)のこと。中世、河野氏の居城だった湯築城は廃城後、松山藩の所有となり、竹林と化していたので「御竹藪」と呼ばれていた。

同年(注-明治21年)六月、道後湯月城址に愛媛県道後公園を設く。湯月城は廃城後竹林と化し、御竹藪と称す。蓋し藩の有する所なり。大小の竹密生して亭々として天に冲し昼尚暗くして悽愴の感あり。又万千の鳥鷺茲に棲息し、其鳴声喧囂、耳を聾するばかりなり。且つ大蛇棲むと称し、畏れてこれに入るものなかりしと云ふ。(西園寺源透『松山史要』)


明治21年(1888)6月、道後公園となってからのちもさびしい雰囲気のところだったようで、子規の「帰郷中目撃事件」(『筆まかせ』第一編・明治二十二年)には「道後の公園少しさびしこと」とある。

▼ 湯築城跡(御竹藪)外堀
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明治28年9月20日、子規は愚陀仏庵を出て石手寺まで散策、帰途、この堀端沿いの道を通った(「御竹藪の堀にそふて行く」)。

【参考文献】
西園寺源透『松山史要』伊予史談会 1927年5月
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
松山市教育委員会編集・発行『子規遺稿 散策集』(増補版)1977年11月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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