第五十二国立銀行-子規もその株主

▼ 「第五十二國立銀行跡」碑(松山市三番町・中央郵便局通用口向かい側)
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第五十二国立銀行(初代頭取・小林信近)の本店が明治14年(1881)から71年間、この地にあった。同行は現在の伊予銀行の前身である(「~国立銀行」の名称は国の法律に基づいて設立された銀行の意。国営の銀行ではなく、私営の民間銀行である)。

正岡子規の叔父・大原恒徳はこの銀行の創立に携わり、支配人を務めていた。明治初期の旧松山藩士族の家禄奉還で、正岡家は1200円ほどの支給を受けたが、この金は恒徳の配慮で五十二銀行に預けられ、正岡家ではそれを少しずつ引きだしては生活費にあてていた。

子規の叔父で、藤野古白(本名潔)の父の藤野漸も五十二銀行の創立に携わり、のちに頭取となった。

子規の従兄の佐伯政直もこの銀行に勤めていた。政直が正岡家の経済状態を子規に知らせた手紙(明治25年1月20日付)というのがのこっているが、それによると子規は銀行株を10株持っていた(「銀行株十ヨリ生ル配当金」の記述)。五十二銀行の株であろう。わずかばかりではあるが、子規もこの時点では株主であった。

なお子規は「東京松山比較表」(『筆まかせ』第一編「松山会」)では

日本銀行 五十二國立銀行

という対比をなしている。

明治42年(1909)3月発行『松山案内』参照→http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766523/68
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766523/169


【参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
『子規全集』第10巻(初期随筆)講談社 1975年5月
『子規全集』別巻1(子規あての書簡)講談社 1977年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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