原敬の暗殺を予言した人物

大正10年(1921)11月4日、原敬(はらたかし)首相が東京駅頭で一青年によって刺殺されるという事件が起こった。当時、国勢院総裁だった小川平吉の回想によると、その前日、五百木良三が「原はきっと殺()られる」と断言していたという。

嘗つて大正十年十一月原敬氏遭難の前日、目白の近衛公爵邸の庭園で公爵が懇親の人々を招かれて雅宴を催されたとき、近衛公を囲んで頭山君、寺尾君、大竹君、五百木君や私などが居った席で、談たまたま暗殺のことに及び、星亨、安田善次郎などの話が出た折、五百木君は(原は)必()っとやられると断言せられたのであった。(中略)私は五百木の予言が余りにも適中したことに寧ろ慄然としたのであった。私だけではなく近衛公爵も、五百木君が余りにも強く原氏の暗殺を予言されたので、もしや同君が何らかの関係を暗殺事件に持つものではなからうかと、秘かに君の身辺を憂慮せられたのであった。(小川平吉「大陸政策・思想問題の先覚者」『日本及日本人』五百木追悼号)


この五百木は正岡子規の親友のあの五百木飄亭である。明治3年(1871)、松山に生まれた五百木は子規の最初の俳句の弟子ともいうべき存在だったが、のちに政治への関心を深め、国事に奔走するようになった。原の暗殺を予言したことから、この事件への関与を云々する人もいるが、確かな証拠はなく、近衛邸宴席での放談として言ったことがたまたま当たっただけなのかもしれない。五百木の「句日記」には「原敬氏東京駅に倒る」の前書で次の一句があるという。

散る一葉(ひとは)我に天地の響あり


五百木にとって原の死は天下変動の兆し、この句からは原の死を悼むというような思いはうかがえない。

【参考文献】
松本健一『昭和史を陰で動かした男 忘れられたアジテーター・五百木飄亭』新潮選書 2012年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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