「若衆組」の原理-日本史をうごかす潜在的な力

司馬遼太郎は『街道をゆく(8)』(初刊1977年3月)の中で、「若衆組」(一昨日昨日のブログ記事参照)の習俗について独自の考察をほどこしている。

古来、日本(とくに西日本)の村落共同体では、オトナの秩序組織または氏族組織などとは別個に、村落の運営上での権威ある存在(ときに政治的存在)として若者グループが存在し、昭和初年ぐらいまでは古代形態とおぼしい姿と機能のままに存続していた。(『街道をゆく(8)』「薩摩の話」)


その若者グループが「若衆組」。「若衆組」は地域によって呼び方が異なり、「若者組」「若者連中」「若連」「若組」などとも呼ばれる。「若衆組」は太古以来の習俗で、南方起源というのが司馬遼太郎の見解。

若衆組は、おそらくこの日本の島々に太古以来継承されてきた習俗(あるいは社会制度)であろう。これが、日本(とくに西日本)全般の農村社会を特徴づけてきたというのは、日本人の先祖もしくは日本の古代文化の一源流が南方にあるという証拠にもなっている。この習俗は朝鮮(すくなくとも新羅の統一以後の朝鮮)には存在しないし、むろん儒教で固められた中国の漢族社会においては、存在しなかった。(中略)
日本の古代以来の文化は、氏族制で代表される北方的要素と、若衆組で代表される南方的要素とが重層しており、その濃淡は地域によってさまざまだったように思える。(『同』「若衆組と宿」)


氏族制は家父長的存在によってその血族集団を階級秩序化するタテの関係、若衆組は無階級・平等性を原理とするヨコの関係。中国・朝鮮では氏族制的なタテの原理が儒教によって強靭化され、近代国家の成立を阻むまでに至ったが、日本の場合は氏族制の原理がそれほど強くなく、同族相食(あいは)むといった内部闘争も頻繁で、中世鎌倉の源氏政権なども簡単にくずれてしまった、と司馬は指摘、さらに次のようにいう。

日本の原始氏族制が中世になるとぼろぼろになってしまうのは、さまざまの政治的経済的要因にもよるが、一つは氏族制の胎内に重層して存在していた若衆組の原理――無階級意識――を基本的な矛盾としてかかえこんでいたからではないかと思ったりするが、ただしこのことは私にそう感じられるだけで実証する方法を知らない。(『同』「若衆組と宿」)


司馬によれば、若衆組の原理は日本の歴史をうごかすほどのものであるが、さすがにそれを実証することまではできない。「空想的な飛躍」とことわって、司馬はさらにいう。

日本はかならずしもよくいわれるように、タテ割り社会というだけのものではなさそうだということである。
日本において、過去にもあり、また現存してもいる秩序的な世界の特殊性を考えてみたい。ここでは例としてとりあえず、明治九、十年における鹿児島私学校、昭和初年の陸軍の軍事社会、そしてこんにちの革マルとか中核とかいった一種の左翼的な過激団体をおもい浮かべてみる。それらは、太古以来、日本の社会に有形であれ無形であれ、ひきつがれてきた若衆宿ではないか、という想像を試みてみたい。(『同』「明神の若衆宿」)


西郷隆盛を擁して西南戦争を起こした鹿児島私学校の若者集団、二・二六事件を起こした陸軍青年将校の集団、戦後社会のいわゆる過激派、これらはいずれも若衆組の原理でうごき、暴発したものだというのが「空想的な飛躍」といいつつの司馬の分析である。空想的で論理は飛躍しているかもしれないが、以上の所論、視点としてはどれもおもしろい。

【参考文献】
司馬遼太郎『ワイド版 街道をゆく(8)熊野・古座街道、種子島みち ほか』朝日新聞社 2005年7月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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