「若衆宿では、毎晩、酒を飲むことになっていた」

獅子文六(昭和20年12月から2年近く、南予の旧岩松町に滞在)の小説『大番』(昭和31年2月~33年4月「週刊朝日」連載)に、南予地方の「若衆宿」の習俗についての記述がある。

この地方の習慣で、若衆宿あるいは青年宿と呼ぶ、一種の合宿制度がある。村の若者たちが、春になって、ある期間を、共に一軒の家で生活し、年長の若者が年下の者に農耕のこと、漁撈のことから、村の社会生活、人間生活の指導をする目的を、持っていた。少くとも、昔はそのようにして、少年が青年になる区切りを、つけたものらしく、若衆宿を出た者は、一人前の男と見られ、結婚の資格ありとされた。これに対して娘宿というものがあり、村の乙女たちが合宿して、家事や人生の指導を受けることになってる。尤も、兵営だの、女学校だのというものが始まってから、若衆宿も、娘宿も、必要性を失い、ことに昨今は、若い者たちの遊び場のようなことになってしまったが、因習の強い地方なので、制度だけは、辛うじて、続いているのである。そして、娘宿は女子十四歳、若衆宿は男子十六歳に達すると、宿入りの資格ができる。(『大番』「あるスパルタ教育」一)


『大番』では、主人公(南予の生まれという設定)も宿料を払ってこの「若衆宿」に入る。

それで、是非とも、宿が開かれたら、参加したいのだが、食費や電燈代なぞを含めて、一日分三十銭を、宿料に収めなければならない。物価の安いそのころでも、すいぶん安い値段だが、それは多少の金や米の寄付が、村人からあるからで、青年たちの負担を、軽くする用意だった。(同上)


「若衆宿」で青年たちは毎晩、酒を飲むのだがそれも社会勉強。

若衆宿では、毎晩、酒を飲むことになっていた。それは快楽のためではなく、勉強のためであった。酒を飲むということは、村の社会生活で、一つの必要なので、もう十六歳となったら、下稽古にかからねばならない。オサが、新入りの手をとって、教えるのである。だから、飲酒は、若衆宿の正課であるが、遊びの方は、菓子や、白米の飯を食うことだった。(『大番』「あるスパルタ教育」二)


「若衆宿」では社会生活を営むうえでのさまざまな事柄を先輩たちから学ぶ。

酒を飲んだり、菓子を食ったり、ある時は、自炊の汁かけ飯を食ったりするのは、いつも、夜だった。彼らは、夕方、若衆宿に集まって、朝、帰るのだが、各自持ち寄ったセンベイ布団に包(くる)まって、早く眠る者は、一人もなかった。夜更しこそ、若衆宿の特権のようなものだった。
そして、なにをして、夜を更すかといえば、談話である。昔は、農耕漁撈のコツということも、オサが話したらしい。今だって、村の長老や、村会議員の誰彼の勢力争いや、それに対する処世術のようなものを、オサが教えたりするけれど、大部分の話は、女のことになる。イロ話である。
ことによったら、これが、若衆宿の正課中の正課かも知れない。なぜといって、この荒ッぽい性教育だけは、村の人がチョン髷を結ってた頃から、今日まで、一貫して、変らないからである。(同上)


「若衆宿」とは要するに一人前の村人となるための社会教育機関であった。これはなにも南予地方だけにあったものではなく、日本各地の村落共同体に同様のものがあった。(次回ブログ記事につづく)

【参考文献】
獅子文六『大番(上)』小学館文庫 2010年4月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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