南予の鉢盛料理

獅子文六(昭和20年12月から2年近く、南予の旧岩松町に滞在)の小説『てんやわんや』(昭和23年11月~翌年4月「毎日新聞」連載)、『大番』(昭和31年2月~33年4月「週刊朝日」連載)に、南予地方の郷土料理である「鉢盛料理」が登場する。

私の席は、主催者の勘左衛門氏のそれに近い、末席だった。溜塗りの角膳が、誰もと同じように、私の前にも据えてあった。その上には、箸と、伏せた盃しか、置いてなかった。(中略)すると、先刻、酌をした四、五人の男が、今度は座の中央に、高脚の膳に載せられた蒔絵の大鉢から、同じ模様の木皿へ、料理を取り分けに掛かった。遠くてよく見えないが、大きな鯛の浜焼らしきもの、カマボコや卵焼の口取りらしきもの、ウマ煮らしきもの、和え物らしきもの、巻鮨らしきもの、ウドンらしきもの――十数種に亙る食物が、同数の鉢に盛られてあるようであった。そして、どの鉢にも、盛り込んだ料理の中心に、桃の花とか、早咲きのツツジだとかが、活花のように挿してあった。
それが、この地方の名物、鉢盛料理であった。私の膳は、見る見るうちに、同型同色の木皿で、埋められた。刺身や酢の物が、木皿に盛られるのは、ヘンな気がしたが、客は慣れてるらしく、たちまち容器をカラにした。(獅子文六『てんやわんや』「春悲し」)


ここに描かれているように、「鉢盛料理」は祝い事などで客にふるまわれるもてなし料理であった。

板前などの専門の料理人ではなく、素人の料理名人たちがこれをつくることになっていたらしい。

この土地では、今夜のような、最も高級な宴会には、必ず鉢盛料理という形式に従い、旅館や料理屋の板前なぞ呼ばず、町の郷土料理の名人たちを、糾合するのである。その名人たちは、平素は、時計屋だとか、ポンプ屋だとかいう職業に従事していて、専門の料理人ではない。事ある時に、腕を振うに過ぎない。(獅子文六『大番』「おとりもち」二)


「鉢盛料理」は大皿に盛りつけられており、「おとりもち」と称する男の接待人が小皿に取り分けて客にふるまわれる。

接待人は、そのほかに、酌もして廻らねばならず、多忙の役目であるが、挙止進退が礼にかない、少しも騒がしさがなかった。(中略)彼らのことを“オトリモチ”と称するそうで、必ず、来客のうちで、その家と昵懇な者から選ばれる。決して、不名誉な役目ではないのである。かような席に、女中などが現われるのは、失礼とされる習慣があるのみならず、鉢盛料理を長い箸で取り分けるには、特殊の技術を要し、宴会慣れた人物――つまり、一カドの旦那でないと、勤まらない役目なのである。(『てんやわんや』「春悲し」)


“おとりもち”なる役目は、この土地では甚だ名誉なこととなってる。宴会の席上で、女中なぞがサービスするのは、上流の風習でなく、(中略)土地の紳士達が、羽織、袴で、酒の酌から、鉢盛料理の取り分けをする役を買って出るのである。(『大番』「おとりもち」二)


素人の料理名人たちがつくり、「おとりもち」なる男たちが客に接待する。「鉢盛料理」はなんともおおらかな宴席料理であるが、今は南予でもこうしたもてなしのかたちは廃れているかもしれない。

【参考文献】
『現代日本文学館32 吉川英治・獅子文六』文藝春秋 1967年8月
獅子文六『大番(下)』小学館文庫 2010年4月

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