伊予鉄道社長・井上要と愛媛県知事・安藤謙介の対立

明治末年、愛媛県知事・安藤謙介は大規模な三津浜築港(港を近代化する大改修工事)を計画したが、これに猛反対したのが、伊予鉄道社長で進歩党議員の井上要であった。井上は『安藤知事横暴史』なる本まで出版して知事を攻撃、安藤は多数派の政友会を背景に計画をあくまで推進、二人の対立は激化し、中央の新聞にもそれが記事となるほどだった。

政友会は高浜を葬らうとしたが、進歩党は三津浜を葬らうとした。安藤の三津築港計画はすいぶん思ひきったことをやったもんだ。(中略)もちろん県会は、此の計画案を可決した。しかし進歩党は、へこまなかった。云ふまでもなく其の急先鋒は井上要であった。井上は、ここで、豺狼のような凄まじい活躍を見せた。それはまるで毒刃のごときものであった。三津浜築港の申請書が主務省に申達されると彼は直ちに不認可の蹶起運動を開始した。井上は「安藤知事横暴史」を出版し、之()れを宮内省、枢密院にまで持ち込んだ。さうして此の土木計画の無謀と、安藤知事の非を鳴らした。安藤と井上との一騎打が始まったのだ。彼らが上京すると東京の諸新聞は、彼ら二人の写真を掲載し「喧嘩する二人」と云ふような題目で、喧嘩のいきさつを書き立てた。三津浜町民の井上に対する憤慨の有様は物凄いものであった。井上が汽車で三津を通ると、彼らは石を投げつけ、罵り騒いだ。三津浜築港起工式が来た。町民の心は明るくうれしかった。それは祝福と栄光の日であった。彼らは安藤知事を礼讃した。彼らは政友会を謳歌した。そこで安藤知事の記念碑が出来た。それは礼讃と謳歌の結晶であった。街はむろん賑はった。ダンヂリが出た。笛、鐘、太鼓、仮装団が出た。おいらん道中もあった。町民は、歌ひ、舞ひ、踊った。井上はしかし憎まれた。ウンと憎まれた。おはなしにならぬくらいに憎まれた。(中略)此の狂熱的な歓喜が、タッタ一ヶ月ほどの後に於て、まるで、うたかたの夢のごとくに、あっさりと消えさらうとは、さすがの三津浜町民も、思ひ設けなかったであらう。為政者と、政党に頼るほど、はかないものはない。(『愛媛県政史』四「壮年期の愛媛県」)


二人の争いは、桂内閣による安藤の事実上の解任で終息、後任の知事によって三津浜の築港も取り止めとなった。安藤との争いに勝利した井上であったが、三津浜には反井上の感情がながくのこった。

▼ 井上要翁頌徳碑(梅津寺公園前)
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井上要がその創設に尽力した二番町の初代県立図書館前に建てられ、のち梅津寺の現在地に移された。

【参考文献】
沢本勝・阿部里雪(利行)『愛媛県政史(一九二六年版)』愛媛県政史刊行部 1926年1月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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