『坂の上の雲』の「飛鳥山ニ遊ブ」の作文のエピソード

前回のつづき)

秋山好古が陸軍士官学校の入学試験を受けたとき、作文の課題の「飛鳥山(あすかやま)ニ遊ブ」を「飛鳥(ひちょう)、山ニ遊ブ」と勘違いしたという話は、『坂の上の雲』(「春や昔」)に次のように出ている。

試験がはじまった。
作文の考査である。好古は、さきに願書を出したとき作文があるということは寺内正毅大尉からきかされなかった。
ところが早耳のあの丹波人本郷房太郎が薩摩の受験生からきいてきて、
――作文もあるそうじゃ。
と、耳うちしてくれたのである。
(中略)
正面に、題が貼りだされている。
「飛鳥山ニ遊ブ」
というのが題であった。
好古は、なんのことかわからない。アスカヤマという山がこの世にあろうとは夢にも知らないのである。
飛鳥山とは、上野、隅田川とならんで東京における桜の三大名所なのである。山といっても丘のようなもので、ふもとを音無川がめぐり、頂きを歩けば荒川の流れをのぞみ、国府台や筑波山を見ることができる。東京の者なら子供でもその地名は知っているであろう。
が、好古が知るわけがない。
(こりゃ、山の名ではあるまい。飛鳥(ひちょう)、山ニ遊ブ、とよむべきではないか)
そうだと思い、そう思うと急に勢いが出てきて書きはじめた。
「余ガ故国伊予ニハ名湯アリ、道後ノ湯ト名ク。湯ノ里ニハ山アリ、山容ナダラカニシテ神韻ヲ帯ブ。古ノ河野氏ノ城阯ナリ」
というところから書きはじめ、その山に鳥が大よろこびで遊んでいるという描写をした。
とにかく時間いっぱいで書きあげて校庭に出てみると、桃太郎のような顔の本郷がぼんやり立っている。どうした、ときくと、「えらいことをした」と本郷はいう。本郷も飛鳥(ひちょう)のほうであった。(司馬遼太郎『坂の上の雲』「春や昔」)


好古のこの勘違い話は彼の些細なエピソードも記している秋山好古伝記刊行会編の膨大な伝記にも載っていない。では司馬遼太郎の全くの創作かといえばそうでもなく、実は上にも名の出ている好古と同期の本郷房太郎(丹波篠山出身)のエピソードであった。その本郷の伝記には次のようにある。

その入学試験については、次のやうな面白い話がある。作文の試験に、「飛鳥山ニ遊ブノ記」といふ題が提出された。幼年学校にでも学んでゐたら、飛鳥山ぐらゐは知ってゐたのであらうが、何分故郷を出て東京に住むこと僅か一年、それも厳格な塾生々活をしてゐた大将は、飛鳥山といふ山が東京附近にあらうなどとは全く知らなかった。問題を一瞥するや、「飛鳥、山ニ遊ブノ記」と読んだ。さうして百花爛漫として咲き乱れ、諸鳥欣々然として戯れ遊ぶ、楽しい春の山の景色を書綴って提出したといふことである。然るに幸にも入学許可になった三十四名の中に入って、堂々入学を贏ち得たといふことは、勿論他の学科の施成績が優秀であったには違ひないが、同時に又その文章も余程立派に出来て居たのであらう。(『陸軍大将本郷房太郎伝』第一編「伝記」四「陸軍士官学校生徒時代」)


司馬遼太郎はこの本郷のエピソードを『坂の上の雲』では、秋山・本郷二人の失敗談とした。小説としてはそのほうがおもしろいと判断したのであろう。

【参考文献】
本郷大将記念事業期成会(編集発行)『陸軍大将本郷房太郎伝』1933年2月
司馬遼太郎『坂の上の雲(一)』文春文庫(新装版) 1999年1月

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