狐と狸

四国には狐がいないと古くからいわれる。

四国に狐なうして狸の害多し。(『中陵漫録』巻七)


四国に狐がいないことについては、河野通直(伊予の豪族・湯築城主)にかこつけた次のような由来話がある。

享禄年中に前の河野通直の妻女二人に成り、同姿同衣装にて同じく座せり。通直驚き僉議し、いづれ一人は化物なるべしとあれば、吾正身の妻よ、吾こそ人よ、汝化者よと泣きさけび、互に争ふ。医師来りて、離魂と申す病、一女、二女と成ると、薬を与へ、禅僧来りて古則に倩女離魂の活と云ふは一女、二女と成る本則なりと。一喝一棒の示、そのほか祈禱にてももとのごとし。通直二女を捕へて籠居して数日を経る中、二人の女食を喰ふ事別なり。これを捕へて拷問す。即ち狐となる。既に殺さるべきに定時に僧俗男女四五千、門前に聚まる。これは何者ぞと問へば四国中の狐、訴訟に来り侯、今度不慮の事つかまつる者は貴狐明神の末、稲荷の使者、長狐と申して日本国の狐の王にて候。これを害したまはば国に大災を起すべし。この長狐、吾らその師匠、化の神変これより断絶す。願はくは助けたまへと云ふ。河野聞きて名誉の狐かな、殺すも不便なり、さあらば四国中に一狐も住むまじく書き物し、みな舟に乗る中、国に渡れば、その後この長狐を助け、跡より渡すべしと云ふ。みな畏みて誓紙を捧ぐ。舟を借り数艘にて渡る。これより四国に狐なし。(『本朝故事因縁集』巻二「四国に狐住まざる由来」)

〈日本国の狐の王が河野通直の妻に化け、それがばれて通直に処罰されそうになった。四国中の狐が集まってこの王の狐の助命を嘆願したところ、通直は狐がすべて四国から去ることを条件にこれを許した。以後、四国から狐がいなくなったという話。〉


弘法大師(空海)が狐を嫌って四国から追放したという話もある。

四国地方は昔、弘法大師が霊場八十八ケ所を開基する時に、狡猾にして陰険な狐を嫌って四国の島から狐を追放した。その代わりに諷教的で正直な親しみのある狸を可愛がって布教に利用したという伝説がある。従って狸ばなしの多いことは恐らく日本一であると思う。(富田狸通『たぬきざんまい』「狸念」)


狐は狡猾なイメージで嫌われることが多いが、狸はあまり嫌われることがない。

狐は奸智ありて、疑ひ多き故に、かれがよこしまにひがめる性を忌みて、人愛せず。狸は痴鈍にして、暗愚なれば、人も憎まず。(『雲萍雑志』巻四)


世に奇事怪談をいひもて伝ふること、多くは狐狸のみ。猯(まみ)、狢(むじな)、猫の属ありといへども、これに及ばず。思ふに狐の人を魅(ばか)す事甚だ害あり。狸の害はしからず。(『兎園小説』第五集)


四国のここ松山には狸にまつわる話が多い。お袖狸(東堀端)、毘沙門狸(大街道3丁目)、六角堂狸(勝山町)、お紅さん狸(椿神社)、三光姫狸(高井八幡神社)、金平狸(上野町)、刑部狸(久谷町)、宝蔵院狸(三津)……。松山は狸伝説のまちであるともいえる。

【参考文献】
富田狸通(寿久)『たぬきざんまい』有限会社狸のれん 1964年2月
愛媛県史編纂委員会『愛媛県史 民俗下』 1984年3月
柴田宵曲編『奇談異聞辞典』ちくま学芸文庫 2008年9月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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