毘沙門狸

城山の東麓に昔「毘沙門坂」と呼ばれる坂道があった。柳原極堂の『友人子規』(213頁)に「毘沙門坂を爪先あがりに進んで東雲神社下に出()で……」、「毘沙門坂は其後開鑿されて今は無くなった」等とあるから、東雲神社の南、今のロープウェイ東雲口駅舎(大街道3丁目)付近が毘沙門坂であったのだろう。伝説によると、この毘沙門坂にはいたずら好きで有名な毘沙門狸と呼ばれる古狸がいて、よく汽車に化けては人を驚かしていたという。以下、松山の狸研究家・富田狸通の『たぬきざんまい』の記述、柳原極堂もこの毘沙門狸に化かされたと記している。

明治三十年の頃、一番町と道後の間を汽車が通い出した当時のこと、毘沙門狸はよく汽車に化けて通行人を驚かせていたという話。極堂翁が若い時、夜更けて道後温泉から帰る途中、近道をして線路上を歩いていると、真向うからポッポ、シュシュッと汽笛の音と共に赤いヘッドライトが近づいて来るのであわてゝ線路をよけた拍子に側溝へ転倒したという話を聞いた。あとで考えてみると終列車の時間はとうに過ぎていた真夜中であったという。(富田狸通『たぬきざんまい』「伊予の銘狸列伝(五)毘沙門狸の巻」)


あの極堂がこんなことを本当に語ったのかどうか疑わしくも思われるが、明治28年(1895)8月の一番町-道後間の鉄道(道後鉄道)開通後、毘沙門狸が沿線でよく汽車に化けるという話は松山一帯に広まっていた。松山在住時代の夏目漱石(明治28年4月~翌年4月上旬松山在住)が東京の子規に送った句稿(明治29年3月5日付・全百一句)に

枯野原汽車に化けたる狸あり (岩波文庫『漱石・子規往復書簡集』209頁・岩波版『漱石全集』第17巻128頁)


とあるのは、ほかならぬこの毘沙門狸のことであろう。当時、俳句に熱中し見るもの聞くもの手当たりしだい句にしては、子規に添削を乞うていた漱石。噂に聞いたこの狸のことも句に詠んで、これを含む百一句の句稿を上記の日、子規に送ったのであった。

▼ 東雲神社正面入口
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この石段下の南辺りが「毘沙門坂」だったのであろう。

▼ 東雲神社正面入口前の子規句碑
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毘沙門阪
牛行くや毘沙門阪の秋の暮 子規



【参考文献】
柳原極堂『友人子規』前田出版社 1943年2月
富田狸通(寿久)『たぬきざんまい』有限会社狸のれん 1964年2月
『漱石全集』第17巻 岩波書店 1996年1月
和田茂樹編『漱石・子規往復書簡集』岩波文庫 2002年10月
松山市教育委員会編『俳句の里 松山』松山市立子規紀念博物館 2013年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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