一茶、極堂ゆかりの「洗心庵」跡(松山市港山町)

▼ 古深里(港山)洗心庵跡の亀水塚(きっすいづか
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亀水塚
笠を舗て手を入てしるかめの水 芭蕉


亀水塚は寛政5年(1793)の芭蕉の百回忌にあたって建立された句碑。芭蕉の自筆と称する「亀水の詠」を埋めて建てたというが、「笠を舗(しい)て手を入(いれ)てしるかめの水」のその詠は芭蕉の句集になく、句意も不明。

寛政7年2月9日、小林一茶(1763-1827)は洗心庵を訪れて亀水塚を見、芭蕉を偲んで「汲みて知るぬるみに昔なつかしや」と詠んだ。

子規の友人・柳原極堂(1867-1957)は一時、この洗心庵観音堂に仮寓していたことがある(昭和20年~翌年)。当時の極堂の書簡にはこの仮寓先に言及した次のような文面が見える。

御無事なりや追々寒さ催す御用心専一と存候 扨小生等老夫婦にて表記に隠居いたし候 方角御出杖の際は御立寄賜り度候 三津堀川北岸観音堂洗心庵に御座候 古松の下陰にて芭蕉翁の句碑あり 八畳一間かぎりの小堂なれども気楽にてムシロ適境に御座候


拝啓 御清安奉賀候 先きにも申上候通り旧称新浜古深里の新名松山市港山町小庵観音堂(或は不動堂とも)に隠居いたし居候 前庭に数百年を経たりと想はるゝ老大古松有之候 大松に身を寄せ住むや冬籠 裏山の港山は南北朝時代河野家の一族が北軍と戦ひし処といふ 当方角御出杖の砌は御立寄賜り度奉待候……


極堂は三津(須崎町)の石油商・桂陽(俳号木圭)の世話でここに移り住んだが、そのときすでに79歳の高齢だった。極堂が住んだ観音堂は昭和60年(1985)8月に倒壊、書簡に言及のある前庭の大松もすでに枯れ死した。

【参考文献】
極堂会(編集発行)『柳原極堂書翰集』1967年10月
二神將『子規の文友 柳原極堂の生涯』松山子規会 1997年2月
松山市教育委員会(編著)『俳句の里 松山』松山市立子規紀念博物館 2013年3月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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