明治の三津浜築港問題-三津浜町と政友会の会合

伊予鉄道社長・井上要の回想録に明治の三津浜築港問題(ブログ本年10月1日記事参照)に言及しての次のような記述がある。

(三津浜築港)其目的達成の最も力ある手段として同町を挙げて政友会と結託することゝした。当時同町の諸士は三津浜を亡すものは伊予鉄であり井上要である、そうして井上要に反対する勢力は政友会であると見込を付け、同年(注-明治36年)四月二十五日、政友会の首領藤野政高氏等を同町にある生簀(いけす)の溌々園に招請し、種々情を尽くし議を練った末、同町は挙(こぞ)って政友会に加盟する代りに同会は力を挙げて其築港を支持することゝなったのである。(井上要『伊予鉄電思ひ出はなし』第三「高浜開港と三津浜問題」七「我社に対する反抗聯盟の成立」)


三津浜町が政友会と結託したその会合がなされたのは、ここに示されているように「三津のいけす」こと「溌々園」であった。『松山市史』(第3巻288ページ)によれば、この日の会合には藤野政高の他、柳原正之も招かれて出席している。柳原正之は正岡子規の友人のあの柳原極堂、意外な人物が三津浜築港問題に関係しているので驚かされる。

「溌々園」については、当ブログ2009年9月1日記事2010年3月13日記事2010年11月28日記事等参照。

【参考文献】
井上要『伊予鉄電思ひ出はなし』伊予鉄道電気社友会 1932年9月
松山市史編集委員会編『松山市史』第3巻 1995年5月

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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